●今回のおしながき

■登場人物:シン(やさぐれ時)× ゆたか
      ※名有りキャラは二人以外登場しません。
 
■話の長さ:長くてすみません。
■内容成分:ネタバレにつき、今回は一切伏せさせていただきます。
■補足説明:モブのセリフは名有りキャラのではありません。
      デスティニーの操縦については設定に基づいたものではなく、オリジナルです。
■重要事項:Knockin'on your mind:Gotta knock a little harder.の続編となっております。



 


a prologue:No hate, No life.





「―――――目標地点へ到達」


「パイロット、機体、共にコンディション良好」
「作戦につき、これより一切の通信を断つ、オーバー」



事務的にそれだけを言い放ち。

俺は、シートからまだほのかに降ろしたて特有の匂いを放つ。
ZGMF-X42S“デスティニー”を、資源衛星の影側へと静かに移動させる。


太陽光が資源衛星の影となるこの領域は。
マイナス150℃を下回る、極寒の世界。


ノーマルスーツを着込んでいたとしても。
一度外に投げ出せれば、長くは保たない。


酸素の前に、体温維持用保温装置の電力が底をつく。



でも、まぁ。
そんな話は、今は置いておくとして、だ。



今回のミッションは、歴戦の戦術士達からの反発を突っぱねて。
FAITHの権限を行使して、強引に立案、実施された作戦な訳だが。


 
――――――――。

――――――――。

――――――――。




この作戦の“唯一の実行要員”である俺は。



特に発する言葉もなく。
特に思う事もなく。


手筈通りに、デスティニーを資源衛星へと極力静かに機体を寄せさせて。


全てのスラスターの出力を絞り、最低限のアイドリングを保ったまま。


資源衛星掘削調査用のボーリング重機群の狭間に着陸させる。
 

とうに(10年は前だろう)廃棄されたこの資源衛星。
無人の現場は荒廃し切っていて、人はおろか生命感を全く感じない。



だが施設の一部はまだ“生きて”いて、
その結果、いくつかの重機は待機電流を受けてコンソールが淡く点灯している。



俺はデスティニーの出力を限界まで絞り、重機のそれに紛れ込ませ。
重機の支柱と一体化する様に、機体を潜ませる。


ぶっちゃけ、こんな偽装は普通バレる。


電力量がまるで違うしな。
相手がよっぽど無能な馬鹿でなければバレる。


けれど、これで良い。
ディスプレイの『Sleep:OS』 の文字を見つめながら、そう呟く。



緊張とか高揚とか、そういう感情は全くなく。
ただ事務的に、その時を待つ。

 



 
 
――――――――。

――――――――。

――――――――。

 



――――――――来た。



 

5機のモビルスーツが下手糞な編隊を組んで、資源衛星に近寄ってくる。
ミネルバに存在する三人のFAITHの一人である、あいつの予想通りに。

 
廃棄されたとは言え、微量な資源を有しているこの衛星を視察に。
5機の素人じみた敵が、無警戒で“こんにちは”してきやがった。


さすがだよ、レイ。
全く疑ってなかったんだぜ、俺。


 
この資源衛星は安全区域ではない。
この領域は戦闘そのものが禁止されている訳ではない。


ただし戦艦の侵入は禁止されている。


故に駆動用バッテリーの維持に不安を生じさせるため。
事実上、モビルスーツによる戦闘行為が困難となっている。


その例外の機体が何体が存在するのだが、そのほとんどはあちらさんの所属。
だが核エンジン搭載の機体はZAFTにもデスティニーを含め、二機存在する。


つまり、この領域は。
充分にハイレベルな戦闘行為が可能な訳だ。



まだ敵の一般兵は伝わってないかも知れない。
でも指揮官クラスなら知ってて当然の情報だ。


でも、奴らはこうしてノコノコ来た。


安全区域ではない、この領域に。
戦闘行為が起きることを全く想定していない、素人同然の編成で。



歴戦のベテラン戦術士の理論をことごとく瓦解させ。
親友であり、好敵手でもあるレイ・ザ・バレルの予想通りに。


フリーダムも。
ジャスティスも。


そのどちらも随行させずに。



悠然と行軍してきやがった。



 
………普通考えもしないだろ。


 
いくら資源が枯渇してるからって。
平和ボケのお花畑頭でヘラヘラと。



こちらにその属性を持ち得た機体が存在することを知らないのか。
もしくは、その存在を知りつつも。


駆逐される可能性を想像すら出来なかったのかは、知る術がないけれど。

      
あの、オーブの総大将が。
安っぽい正義感、使命感、etcを沸かせて。


奴にお似合いな安っぽい金ピカの下品な機体で。
総大将自ら、馬鹿面引っさげてノコノコ出てきやがった。



 
 
て、言うかさァ。



 
 
いちいち、そう言うのがさァ。


 

 
     しゃく さわ
「………癪に障るってンだよッ!!!!!」
 



 

一気にスロットルを開放!


両足のペダルを蹴っ飛ばし、数ノッチ戻して固定!
目の前のディスプレイに『Reboot:OS』 の文字が流れ飛ぶ!


一気に臨界まで突き上げたデスティニーの魂に、更に鞭を入れる!!
回しすぎの警告BEEP音がけたたましく鳴り響くが知ったこっちゃない!!



 
「……あのッ!」



 
踏み込んだ両対のペダル!
脚部スラスターから迸る光!



 
「……金ピカのッ!!」



 
前方に跳ね飛ばす両対のスロットルレバー!!
さながらカタパルトから発進する様に、ボーリング重機を蹴り飛ばし、敵機との距離を一気に詰める!!


 

「……大将機をォォォッ!!!」




背中に展開する、鮮血を彷彿とさせる紅の翼!!
さながらアンタ達を地獄へ誘う、悪魔の様に!!


 
 
――――――ッ!


 
 
一気に起動させたデスティニーを敵の索敵センサーが捉え、
動揺を隠そうともせず、おたおたとこちらに向かって戦闘態勢を取る!


 
「遅いんだよッ!この下手糞ッ!」


              熱     源
大体、索敵の前に“Heat source”で気付けよ!!
戦闘態勢なんかOSのプリセットモーションに頼らずマニュアルで取れ!!


 
「そんな力量でッ!!」

「戦場に出てくるなってんだッ!!」


 
両手の中指と薬指のボタンを同時に握りこんだまま!
脇を締め両手で掴んだレバーを、力の限り引き絞る!


デスティニーがそれに連動し、両肩のビームブーメランを鷲掴む。


目標を睨んだ視線の先を、OSが素早く追従し!
眼前のモニターにターゲットアイコンが点灯する!



――――――ピッ!



ブーメラン帰投シークエンスの演算終了のBEEP音と共に!




――――――ッ!




両手でトリガーを全解放!!


 

「OSは、こうやって使うんだよッ!」



 
続けざまに二対、“あさっての方向”にビームブーメランを射出する!
金ピカの取り巻きが、マヌケにも完全に足を止めてそれを目で追う!



         デ コ イ
「……ッハ!“おとり”にガチ反応ですかァッ!?」
 
「素人かっつーのッ!!!」
 


スラスターを全開に!
デスティニーを横薙ぎに飛ばしながら、がら空きのコックピットに照準を合わせる!


右手の中指でボタンを押しっぱなしにしながら、固定標的と化した馬鹿共をロックして!
人差し指でビームライフルのトリガーを連続で弾く!


取り巻きの機体を次々と、真空の宇宙空間特有の無音花火に変えていく!


 
「1つ、2つ……3つっ!」


 
あたふたと体勢を立て直そうとする最後の1機を体当たりで弾き飛ばす!
だからOSのプリセットモーションに頼ってるんじゃないっての!


        ラスト
「…………4つっ!」

 

正確無比にコクピットを打ち抜き、最後のマヌケが閃光に消える。
 



――――――クッ。
――――――ハハ。


 

下手糞が戦場に出てくるから悪いんだよ。



て言うか何ですか?
ひょっとしてアレですか?



『姫様の護衛だ!』とか?
『光栄の至りだ!』とか?


むせ
咽び泣く様に言っちゃってェ?



恐悦至極のあまり、昨日寝れなかったりしたんですかァ?


 
だったら、そいつはご愁傷様でしたね。
全ては“奴”の力量不足を見誤ったアンタらの責任ですよ。



お代が“自分の生命”とは、随分と高くついたモンですねェ?
や、その程度の認識力しか練り上げられなかった人生なんて?



割かし安いのかも知れないけどさァ?



でも、そうだな。
それはそれとして。


 
“大将”は敗戦の責任を取らなくちゃダメだよなァ?

 
そうだろ?
解ってるんだろ、“オマエ”もさ。



“オマエ”の代わりに“散った生命”は。
“オマエ”にとっちゃ、“安く”はないんだろ?



つう訳で、だ。
今度こそ償えよ、金ピカの宝玉。



俺が断罪の刃をくれてやるからさ。
遠慮無く、目も当てられないくらい無様に墜とされとけ。


 
さぁ、覚悟はいいか?


 
“自分の罪”を“全て”かき集めて、その胸に抱けよ。
そしたら、その中身の詰まって無さそうなアタマごと。

 

「………オマエの首を、叩き落としてやる!」

 

ペダルを踏みしだき、解放するスロットル。
虹色の粒子を撒き散らし、デスティニーと金ピカの距離を詰める。
 



――――――ッ!



 
恐怖におののいたのか、それとも冷静に応戦したつもりなのかは知らないが。
金ピカが苦し紛れにビームライフルを乱れ打つ。



 
「ハ、馬鹿ですかァッ!?」



 
こぼれ落ちた罵声と共に唾が飛ぶ。
当たる訳ないだろ、そんなものが。


 
そういう時はさァ?
オートターゲッティングシステムをモード2マニュアルにするんだよド素人。


 
モード3はスナイプの時にアシスト気味に使うんだよ。
何をとっちらかって初歩ミスかましてんだよ。



アンタそれでもナチュラルじゃ“やる”方なんだろ?

 

―――――――――――。

 

連射を掻い潜る。
つうか、ウザい。



興醒めするだろ、バァカ。


つうか、いちいち言わせんなよ。



そんなヘボい射撃がさァ?
当たる訳、ないんだよッ!
 


「……最後は直接トドメを刺してやるッ!」

 

ビームライフルを投げ捨て、長い滞空時間を経て。
演算通りの挙動で、弧を描いて戻ってきた二対のブーメランを両手で掴む。


そのままサーベルモード二刀流で、ライフルを狂った様に乱射する金ピカの………。

 

「八つ裂きにしてやるよッ!!」

 


―――――ガガッ!ガガッ!
 



両腕を肩から切り落とし!


 
 
「まだまだッ!」


 
 
―――――ガッ!


 

胸部に蹴りを入れて距離を開ける。
コクピットを避けたのは、それで殺しちまわない配慮だ。
 



「ハハッ、これで終わりだと思うなッ!!」

 

そうさッ!
簡単に死ねると思うなってんだッ!
 


ビームブーメランを再度投げつけて!
両足を切断する!
 


「アッハハ!!いい格好になったじゃないかよッ!」

 

嘲笑がこぼれ落ちる。
だが、気は緩めない。


全力で最後まで殺し切る。
もう二度とヘマはしない。


右手の親指、中指、薬指でボタンを握りこんだまま、ゆっくりとレバーを引き絞る。
デスティニーの右手がそれに連動する様に、背中へと導かれ。


大剣“アロンダイト”の柄を掴む。



―――――――ガッ。



そのまま一気にレバー倒しこんで。
中折れ式のアロンダイトが展開して。



機体を超える長さの両手剣へと。
アロンダイトは、あるべき姿へと。


“断罪の刃”へと、その存在を変えていく。


 
「……コイツで確実に息の音を止めてやる!!」


「……オーブのお飾り総大将!!」



 
両足でペダルを床が抜ける程の強さで踏み抜く!
両手で壁を殴りつけるようにレバーを突き出す!


 
「オマエが!」


「オマエが!!」


「オマエがァ!!!!」

 


最大加速で金ピカとの距離を詰めて行く!
デスティニーの紅い翼から禍々しい虹色の粒子が漏れ落ちて!



漆黒の宇宙空間を怪しく照らす!



そう、まるで!
俺の仇討ちを祝福するように!


 

「父さんをォッ!!」


「母さんをォッ!!」


 

アロンダイトの刀身に最大出力でビームを展開!!



“ぶった斬って”やる!!



“突く”んじゃんなくて、“ぶった斬る”!!
本来実力が伯仲してたらありえない“縦斬り”を!!



圧倒的に力が劣るオーブの“お姫サマ”の脳天に!!



全ての怒りを込めて、全身全霊で叩きこんでやる!!!


 
 
「マユをォォォォォォ!!!!」


 
四肢を失い防御はおろか。
AMBACで姿勢制御することすら叶わず。



さらけ出した、その無防備な脳天に。
渾身の力で、アロンダイトを。


 

全出力で。
叩きこんで。
 



その断末魔を。
引き裂いた機体越しに聞いてやる。


 
 
その断末魔を。

 

 

―――――――い。
 

 


妹の。
 


 
 
―――――――い、たいよ。




 
 
たった一人の妹の。



 
 

―――――――お、にい、ちゃ。

 

 

マ ユ の 声 で。


 
 
 
機体同士が接触した振動が肌を伝わって。
全身から染み入ってくる様な、その声で。
 
 
 

金色のモビルスーツから。
 
 

 

金色のモビルスーツから?





マユの声で?
 
 
 
 
 
妹の断末魔を?
 
 
 


 
 
―――――――お 兄 ち ゃ ん !! 痛 い よ ぉ !!!
 

 



 






 

「…………………うわぁぁあぁぁぁぁぁぁああぁぁぁっ!!!!!」







 



 
――――――はぁっ。

――――――はぁっ。

――――――はぁっ。


 
 
視界には見慣れつつある木目の天井。
汗だくの身体に巻き付いた薄掛けの布団。


 

――――――はぁっ。

――――――はぁっ。

――――――はぁっ。

 


カーテンの隙間から差し込む朝陽。
静かにさえずる小鳥達の集会の声。



撥水素材のノーマルスーツに水滴が浮き上がるように。
汗のしずくが額から頬へとを伝って、そのまま髪に吸い込まれて行く。


六畳一間の生活感あふれた近代日本を象徴するたたずまいのこの部屋。
“ここ”ではごくありふれたトラディショナルな一般邸宅のそれ。

 

“この世界”での俺の部屋。

 

脳みそにようやく酸素が巡り始めて。
徐々に現状を把握していって。


汗だくの身体をゆっくりと起こす。
 

 
「クソ…………夢かよ」

 
 
背筋に寒気が走り、ぶる、と身震い。



また、俺は。
あの、夢を。


恨んでなんかないのに。
彼女は悪くなんかないのに。


自分の力不足が。
混乱した社会情勢が招いた。


誰も悪くないこの悲劇。
誰しもが悲しんだ惨劇。


 
それは子供じみた俺の憤りのはけ口。


 
解ってる。


 
彼女は何も悪くない。
俺の八つ当たりだ。


後から言いがかりをつけて。
誰かを悪者に仕立て上げて自身を慰める行為。


望まぬ総大将にならざるを得なかった彼女は。


自由の名を冠した機体を駆る彼は。
正義の名を冠した機体を駆る彼は。

 
悪者に仕立て上げた、俺の。
子供じみた癇癪の被害者だ。



その形容しがたい罪悪感が。
俺の心の奥底に隠れた醜い弱さが。


 
眠ってるマユを非情にも引きずり出して。
絞りだすような悲鳴を上げさせた。


………最低だろ。
………俺は、救いようのない卑怯者だ。


 

――――――ちくしょう。


 

頭でも心でも解ってるハズなのに。
自分の醜さを改めて思い知る。



解ってると言い聞かせる行為は。
解っていない事と同義なんだな。



到達した答えに、心が千切れそうになる。



色がなくなっていく様な感覚に。
寒気を覚えて、身体をかき抱く。

 


「………………ちくしょう」


 

言葉は発した途端、バラバラに飛散して。
宙を舞って、無残にも立ち消えていった。


なにが“スーパーエース”だ。
こんな無様なエースがあってたまるかよ。




――――――クソ。



 
こんな心理状態でも。
俺は馬鹿みたいに一日を始めなければならない。


 
そう。
馬鹿馬鹿しいけれど。


 
俺は“この世界”では“ただの学生”な訳で。


 

“学校”に行かなくてはならない身分で。
 



「……………ハ」


 

今更、いびつに歪んだ俺なんかが、何を学ぶってんだ。
学んだソレで何を成せってんだ。



 
自嘲めいた嘲笑は、反響することもなく。



 
木造の部屋特有の吸音性で、しゅんとしぼんで消えた。
 
 





 


 

 

    ほ  し
 恒星を見上げて:
as a specialized.


 

main part:Then,start his story.





「…………つまり、弥生文化の到着が遅れた東北地方で」

「縄文文化が特化した形で進化したのが、“三内丸山遺跡”と言うわけですねー」



集中力が切れ掛かる4時限目。

退屈な授業に耳を傾けて。
縁もゆかりもない“この世界”、ひいては“この国”の歴史を学ぶ。


ハハ。
何の冗談だ、コレは。

そんな事を心の中でごちりながら。
俺は、教師の「ハイ、ここテストに出しますよ」と言う脅迫めいたセリフを受けて。

その前に口走った説明を、出来る限り漏らさずノートに走り書いていく。



そんな俺を尻目に。
まだ名も覚えていない周りの連中が。



先生の目を盗んで。
楽しそうにひそひそ話を始める。

 

どうやら放課後に遊びに行く約束でも取り付けてるみたいだが。
正直俺にはどうでも良い話題だ。

 

だが、それでも。

 

―――――しゃしゃ……しょしょ……。
―――――しゅしゅ……しゃしゃしょ……。

 

ひそひそ話特有の息を抜いた“サ行”だけが妙に耳に突き刺さる。
表現に窮するいづらさに眉をひそめて、じろりと軽く睨みつけてやれば。

 

―――――――わ、睨んでる。

―――――――ご……ごめんね、うるさかった?

―――――――チャットにしよっか。

―――――――だね。

 

なんて、急に聞き取れる滑舌でそんな事をこぼすもんだから。
こちらも辟易として、眉間にシワを寄せて視線を逸らす。


ハハ。
解ってたけど、思い知る。


俺は“ここ”では、あまりにも場違いだということに。


“ここ”は、平和で退屈で呑気で。
そして、皆狂おしいほど、幸せで。


ただひたすらに“それ”を目指して、何もかも犠牲にしてきた俺なのに。
“その努力が何一つ反映されてない”この平和なこの世界は。

 

まるで“俺の人生全てを否定されている”ような。

 

そんなどうしようもない疎外感を感じさせてくれる毒物みたいな苦々しい舌触りで。

 

だから当然。

 

この言いようのない違和感だらけのこの世界で。
その輪の中に入っていける訳がないし。

 

というかむしろ。
本音を言うのならば。


戦争がない世界“しか”知ることのない、同年代の人間と。
戦争という世界“だけ”で現状を形成をしてしまった俺は。


挨拶一つですら、どう接して良いのかが解らない訳で。
価値観が、常識のありかたがそもそも違いすぎる訳で。

 

言ってしまえば、人殺しを評価されて階級という形で自身を高めて行った俺と。
勉強やスポーツ、容姿や性格を評価されて自身を高めて行った彼ら。


成り立ちからして、何もかもが違いすぎる。


この壁を乗り越えるのは無理だ。
困難とか、そんな曖昧な括りではなく“不可能”だ。

 


―――――――。

―――――――。

―――――――。

 


教師が読み上げる教科書に耳を傾ける生徒達。
考えてることは恐らく。

 


『次当てられませんように』とか?

『早く飯の時間にならないかな』とか?

『今日の部活がんばろう』とか?

『放課後にデート誘ってみようかな』とか?

 


そんな事で溢れてるんだろう。


それはとても尊い平和そのものであってだな。
誇るべきことなんだとは思ってる。


例えば。

 

『敵の急襲に備えて気を張っておかなければ』とか?

『たとえ相手が初出撃の素人兵でも躊躇なく殺さなければ』とか?

『悲しみを憎しみで塗り替える方法を追求したり』とか?

『憎しみを懲悪にすりかえる理論を夢想してみたり』とか?

 


今でも気がつけば、そんなことに思考を持っていかれる俺なんかに比べれば。
益体もない平和を満喫している彼らは、どうしようもないくらいに尊く、綺麗なんだと思う。


勘違いして欲しくないが、俺は自分を正当化するつもりなんかない。
むしろ断罪して欲しいくらいだ。


“異物”である俺を、口汚く罵ってくれればどれだけ楽だったか。
だがそれは期待出来そうもない。


結局のところ。
彼らは戦争を知らない。


知らないから、否定も出来ない。
否定という概念にすら辿り着けない。


そして、俺の周りの連中は。
呆れるくらいに綺麗だから。


唯一出来るはずの“拒絶”ですら、しようとしない。


それはそれはもう。
直視できないくらいの眩しさで。


気が遠くなるほどの距離感で、隔たりを感じてしまうほど遠すぎるから。

そう例えば、それは地球の端から端とかの類じゃなく。
最も遠い恒星までの距離とか、そういうレベルの話で。

 

―――――――。

 

音を立てず に溜息を吐く。

 

良いんだ、 それで。
俺はここでは、単純に“異物”で良いんだ。


考えるのをやめよう。
思考を閉じよう。


もう充分だ。
苦しさなら、それこそ十二分に味わった。


これ以上あがいてまで欲しいものなんか、この世界にはない。


友達であったりとか。
家族であったりとか。


“俺が支払った代償が何も反映されてないこの世界”では。
当たり前の幸せであっても、到達できるはずがないし。


たとえそれが勘違いで。
簡単に出来ることであったとしても。


それは何だか違う気がして。


そこで、“ばち”と脳みその奥が弾けそうになったけど。
それは砂漠の様に乾いた俺の心に反響せず不発した様な音を立て。


悲しそうに残響を飛散させながら、収束していく。

 

そう、これでいい。
今の俺に“そんな力”は、手に余ってしまうから。


 






――――――――。

――――――――。

――――――――。

 


昼休みでざわつく廊下を。
眉間に皺を寄せて、歩く。


小突き合ってふざけあう男子達を。
きらびやかなスマフォケースを互いに見せ合う女子達を。


頬を染めて語らうカップルを。

         かわ
俺はただ、無表情で躱して歩く。
購買までの道のりが、いつも以上に遠く感じて辟易とする。


“異物”だろうと、なんだろうと。
“場違い”だろうと、なんだろうと。


“時間は、万人に平等”であり。
“空腹もまた平等”である訳で。


馬鹿みたいにふてくされてみたところで。
どうしたって、人は食わなきゃ生きていけないし。

死にたいと言うほど、感情が極まってる訳でもなく。
飢えに耐えるほど、抗いたい何かがある訳でもなく。


何をとっても、中途半端な自分に呆れてしまう。
怒りを覚えるほど感情が振れてるほどでもないところが。

 

笑ってしまうくらい、今の俺らしい。

 


「…………はぁ」

 

日々は、かくも虚しく。
その色彩は精彩を欠く。


一人虚しく愚痴を心で反響させつつ。
左手の指先を、軽く壁に触れさせながら階段を下る。

 


―――――と。

 


踊り場に降りたところで、先を行く歩みの遅い女子学生に遭遇し。
ペースを乱され、その場でたたらを踏む。


前を歩く小柄な少女。


その見覚えのある2つに結わえた赤み掛かった髪が。
ひょこひょこと揺れる様に苦笑する。

 

踊り場で見知った奴に出くわして。
思わず表情が緩んで。


バツが悪くなって、またしかめっ面に戻る。

 

「…………ゆ」

 

たか、と声を掛けようとして。
数秒間呼吸を止めてフリーズして。


溜息を吐き出して、結局やめてしまう。


泉の話では、学校でのゆたかの評判は悪くなく。

や、むしろ極めて良好であり。
友人も多く、その中でも親友と呼べる相手も何人かいると聞く。


俺と話しているところを見られて評判を落とすのもアレだしな。
ここは、敢えて声を掛けずにやり過ごすのが正解、だな。

 


―――――くるり。

 


だってのに、目の前の後頭部は俺の視線を感じてか。
まるで小鳥みたいにふわりと振り返り。

 

「…………ぁ、シンさんだ」

 

なんて、よせば良いのに俺の名前まで呼びやがる。
まぁ、そういう奴なんだよな。ゆたかは。


緊迫した空気を読めず(読まず?)に踏み込んで。
空気そのものを柔らかく変えてしまう。

 

最初はソレがそこはかとなくウザかったと言ったら。
きっと泣くだろうな、コイツは。

 

そして俺はらしくもなく。
あたふたとなだめて、あやして。

 

空気をそのものを変えられてしまうのだろう。

 


「えっと、ぁの」
「ぁ、……そだ」

 

「シンさん、………“おはようございます”っ」

 


ゆたかからの唐突の挨拶に。
若干の混乱を覚え立ちすくむ。

 


――――『おはようございます』って、今、昼だぞ?

 


単にいつもの天然炸裂なのか。
それとも何か意図があってのことなのか。


眉間の皺を深くしてその真意を探る。

 

「“おはようございます”、で良いんです」
「だって今日、わたし日直で早出だったから、朝行き違いになっちゃいましたもん」


いぶか
訝しむ俺を意に介する様子もなく。
怯みもせず、ただふわりと笑って。


小早川ゆたかは、柔らかく微笑む。

 


「だから、仕切り直しの“おはようございます”、です、よ?」

 

 

―――――――くそ。

 


柄にもなく嬉しいと思ってしまった自分に、心の中で舌打ちをする。
そういう“駆け引きなしの暖かさ”を不意打ちするのは、反則だろ。

 


―――――――。

 


でも、不器用な俺の口から紡いだ言葉は。
挨拶一つですら、まともに交わす事の出来ない俺が紡いだ言葉は。

 

いつもどおりの。

 


「………………ふぅん」

 


と言う無味乾燥な一言。
これが“この世界”で過ごす俺の、精一杯の日常会話。


どれだけモビルスーツを扱えようが。
ほとんどの戦術モーションをマニュアルで完璧にこなせようが。


ただ一言、気の利いた挨拶もできやしない。
最低の平和初心者な訳で。


よほどの無能な馬鹿であっても出来ることすら出来ない。
生きていくことが下手糞な、安っぽい偽悪者でしかない。

 

「…………えへへ」
「午前中もやもやしてたのが、ようやくスッキリしましたっ」

 


くるりと回ってから横に並んで、共に歩みを進めるゆたかの笑顔に。
掛けてやりたい言葉を必死で探して。

 


「……………そうかよ」

 


捻り出せるのは、そんな言葉な訳で。


すまない、と言えば、良いのだろうか。
こんなぶっきらぼうな会話しか出来ない自分をどう詫びれば良いのか。

 

挨拶一つまともに出来ないこの俺に。

 

そんな難しい答えを導き出せる訳もなく。
ただひたすらに眉をしかめる。

 

「あの、シンさん?」

 

不意に名前を呼ばれて。
なんだよ、と言いかけて、踏みとどまる。

 

下手糞な反応を返すより。
その先の言葉が知りたくて。

 

 

「偶然だけど、お昼に会えて……」

 


「すっごく、嬉しかった……です」

 


俯きながら、嬉しそうに呟くその顔は。
本当に幸せそうで。

 

俺と会えて、嬉しかったと。
ゆたかは確かにそう言った。

 

俺が、“この世界”で。
何かを成したと言う訳ではないけど。


初めて“俺自身の存在”が。
他人をプラスの方向に反映させられた様な気がして。

 

 

それが、何だか。

 

 

無性に嬉しくて。

 

 

上手く言葉が紡ぎ出せないけれど。
言いようのない、郷愁感が胸からこぼれ落ちて。

 


鼻の奥が、じわっと焦げ付くような。
そんな衝動に駆られて。


 


 

 

 

――――今。

 

視界が色鮮やかに、輝いた気がした。

 

 

 


 

 

「飯……まだ食ってないんだろ?」

「…………………一緒に食うか?」

 

だから、言葉は不器用ながらも。
自然と形になって唇からこぼれ落ちていく。

 

「迷惑じゃなかったら」
「一緒が、良い、です」

 

噛みそうになった言葉を踏みとどまらせて。
ゆたかが嬉しそうに笑う。

 

地球から見上げるような恒星。
そんなどうしようもない距離感の笑顔。


でも“それ”は。


“この世界”がどうとか。
“異物”がどうとか。


そういう理屈を弾き飛ばすほどに。
ただひたすらに輝いていて。


目を奪われるようなくらい綺麗で。
心が透き通って行くくらい慎ましやかで。

 

遠すぎて、手は届かないけれど。

 

例えどんなに遠かろうと。
その美しさは、俺にもはっきりと解る訳で。


解ろうとする行程をすっ飛ばして。
心にストンと染み渡っていく直感に響く理解であり。

 

だからこそ。

 


「………ああ、一緒に食おう」

 


やろうとしても絶対に出来なかった笑顔が。
無意識に零れ落ちるのが“解って”しまう。


それは誇らしくもあり。
照れくさくもあり。

 


「……………はは」

 


そして、また俺は。
困ったように、“笑う”。

 


――――――きゅ。

 


唐突に、ゆたかが俺の制服の裾を握りしめ。
俯いたまま小さな握りこぶしで口元を隠す。

 

 

「ん?どした?」

 

 

体調が不安定なゆたかを案じて。
身を屈めて、様子を伺う。

 

 


―――――優しい声。
―――――独り占めしたくなっちゃう。

 

           
―――――わたし、やな娘だナ。

 

 

 

ゆたかが呟いたその声は。
消え入りそうなほど、か細く。


俺に届くことはなく。

 

 

「………え?今なんて?」

 


と、問いかけても。
きっとその答えは返ってこないのだろうと。


未熟ながらも直感し。

 

案の定。

 


「………天気も良いから屋上がいいなぁ、なんて」
「………思わず、言ってみたりしたんです、けど」

 

そんな言葉が返ってきて。
何とも形容しがたい感情が胸から沸き上がってきて。


何度か言葉を紡ごうとして。
結局、俺は。

 

「よし、 じゃあ屋上で決まり、だな」

 

と、不器用 に笑顔を作るのが。
今の“精一杯”だった。

 

 

…………この下手糞。

 

 

思わずごちてみるものの。
それは、今までとは違って。

 

 

温かみのある感じで呟くような。
不甲斐ない自分への激励のような叱咤だった。

 

 





 


梅雨とは名ばかりの突き抜ける青空。

 

雲は真夏特有の輪郭をはっきりとさせたそれではなく。
ところどころを千切れさせながら空の青色と混じって。

 

そよぐ風はただ一言で表すなら“心地良い”に尽き。

 


――――――カシャ。

 


そして、切られたシャッター音は空の青に溶けて。

 

 

………って、“シャッター音”?

 

 

「今日のお弁当の春巻き、接写っ」

 


あぁ、そう言う事か。
て言うか、女共って写真撮るの好きだよな。


俺は特にそれについてリアクションを取る事はなく、
購買で適当に見繕った惣菜パンに齧り付く。

 


――――――カシャ。

 


「いちご牛乳に滴る水滴を接写っ」

 


良いから食えよ。
昼休み終わっちまうぞ。


なんて思いつつも。


言葉を惣菜パンと共に吟味咀嚼、舌でよく味わった結果、
結局、そのまま胃袋に流し込む。

 


「えへへ、それじゃいただきまーすっ」

 


左手で器用に箸を操り、ゆたがは小さな弁当箱をつつき始める。
て言うか、器用なのはサウスポーだから当たり前か。

つうか、その量で足りるのか?
女子の燃費は半端なく良いな。

 

―――――――。

 


惣菜パンをかじりながら、空いた手でゆたかが弄っていたデジカメを手に取る。
コンパクトな作りだが、精度が高い造形で、なんだか好感が持てるモデルだな。


電源を入れてからの起動も早いし、オートフォーカスのレスポンスも良好だ。
コレ、結構良い買い物かもしれないな。ゆたかにしては。

 

「むー、“わたしにしては”ってどういう意味ですかっ?」

 

あ、まずい。
声に出てた。


なんて言うか他意は全くないんだが。
ゆたかってこういうデジタルモノ扱うの、ものすごく苦手そうなイメージがあるから。


見た目が気に入った予算内のモノを買ったら、たまたまそれが神性能だったみたいな。
そんな想像をしてた、なんてさすがに失礼すぎて言えないな。


今度は絶対に口に出さないように。
唇を仕舞いこむようにして噛んで脳内のみで言葉を紡ぐ。

 

「………むー」


「………シンさんが大体何考えてるかわかっちゃうからくやしい」

 


―――――はは。

 


再度、むーと唇を尖らせてふくれるゆたかを見て。
思わず笑いがこぼれ落ちる。

 

まぁ、なんて言うか、な。

 

「食い物とか飲み物とか撮ってるゆたかは想像できるけど」
「正直、人物とか撮ってるゆたかは想像しにくい」


「思いっきり背景にフォーカス合わせて人物ブレッブレな写真撮ってそうな」

 


―――――むー!むー!むー!

 


小さな両のこぶしをぶんぶんと縦に振りながらゆたかが必死に抗議の意思表示。
2つに結わえた髪がこぶしに合わせてむんむんと揺れる。

 

何だ、この可愛い生き物。
存在そのものがワシントン条約とかに引っかかるんじゃないのか?

とか割とどうでも良い妄想が脳裏を掠め、思わず咳払い。

 


「最近のデジカメは、“顔認識”があるから!」
「わたしだって、ちゃんと撮れるんだもんっ!」

 

 

「と……撮れるんです///!」

 

 

はは、敬語に言い直した。
別に良いんだけどな、気を使わなくても。


それがゆたかにとって心地良い距離感なら、
特に俺からどうこう言うつもりはないけれど。


で、それはそれとして。
“顔認識”ってなんだ?

 

「あ、顔認識はですね」
「こうやってシャッター半押しでフォーカス合わせると……」


なるほど、オートで人物の“顔”を判定して、そこにピントと露出を合わせるのか。


それなら誰でも簡単にスナップ写真が撮れるし。
技術的にもそれほど難しいという訳ではないし。


手頃な値段で流通に乗せられる、か。
ふぅん、“この世界”の技術屋もなかなかアタマが柔らかいじゃないか。

 

「だから、わたしでもこんなふうに………」

 


――――――ピッ。


 

フォーカスと露出の演算が完了した電子音。
おい、て言うか、何カメラ向けてんだ。


俺を撮るなっての。


さすがに銃口を向けられてるような錯覚に陥るほどナーバスではなくなったけれど。
得てして男子ってのは写真に撮られるのを嫌がる生き物なんだよ。

 


――――――カシャ。

 


って、コイツ見かけによらず容赦ないな、オイ。
まぁ、良いけど。


や、良くないけど。
ムキになるのもなんだし、良いって事にしておく。

 


「ほら、簡単に上手な写真が撮れるん……ぷくく」

 


なんだよ。

 

そこで止まるなよ。
何で肩小さく震えてるんだよ。

 


「ごめんなさい、ちょっとツボにハマっちゃって……」

 


差し出された液晶には。
仏頂面の俺が表示されていた。


え、何?
俺ってこんな仏頂面なの?


なんだよコレ。
やばいって、不細工すぎる。


ピントの問題とかで誤魔化せるレベルじゃないって。


消せよ。消せって。

 

 

「…………やですーw」

 


鈴が鳴るような笑い声を混じらせて。
ゆたかが珍しく、おどけてはしゃぐ。


そんな彼女を俺は。
自分でも驚くくらい、安らいだ心地で。

 

見“守って”いた。

 



 


「…………まるで“時間を切り取った”様で」


「シャッターを落とした瞬間って好きなんです」

 

昼飯をようやくやっつけたゆたかが静かにそう囁く。

 

“時間を切り取った”様な、か。
今まで写真について、そんな真剣に考えた事なかったけど。


なるほど、その感覚はわからないでもない。


例えば、強制スクロールのアクションゲームをプレイ中、ポーズで止めたとする。
そうすればゲーム内の時間は凍結し、あたかも瞬間を切り出した様になる。

だがしかし。
プレイしている間中、全ての時間軸において、その凍結した瞬間は存在し。

俺たちはその瞬間を一つの動画ファイルの様に、流れの中でしか知覚する事は出来ないが。
実際はその凍結した時間をシークエンスさせる事で、流れという形として認識してる訳で。


カメラを通してシャッターを落とすと言う行為は。
その時間軸の凍結部分へ、“能動的にアクセスする事”に等しい。

 

なかなか哲学的だな。
良い趣味なんじゃないか、うん。

 

「………や、違うんです」

 

顔の前でふるふると手の平を小さく往復させて。
ゆたかは恐縮した様子でそれを否定する。

 

「別に本格的に始めようとか、そんな気は全くないんです」


「矜持とか哲学とか、そういうのは特に持ちあわせてないし」
「構図とか照明とか、そういうのもホントめちゃくちゃだし」

 

「………ただ、最近ちょっと好きだなー、なんて」

 


――――趣味って言うものは。

――――おおよそ、そうやって始まるモノだろ。

 


そんな事を言いかけて、案の定また言葉を飲み込む。

 

俺がそれを言っても全く説得力ないし。
他人に語れる趣味とか、別段ないし。


ただ、ゆたかが、な。
内気なゆたかが、な。


顔を赤くしながら、その情熱を告げてくる心境を考えたら、な。
らしくもなく、俺に手助けしてやれる事とか考えてた訳で、さ。

 

「……………あー」

 

言葉を吟味。
そして咀嚼。


味わって、味わって。

 


舌に乗せる。

 

 


「………放課後、ガンマで」

 

「………どっか写真でも撮りに行くか?」

 


うん、我ながらその言葉の精彩のなさに呆れてしまう。
と言うか、主語ないし。


大体、手の届かない夜空の星に伝える言葉とか。
俺には難易度高すぎるだろ。

 


―――――――ぎゅ。

 


不意に制服の袖を掴まれて、思わずバランスを崩す。
俺からは手が届かないのに、そっちからは届くのな。

 

何だろうな、この喪失感。

 

まぁ、それはそれとして。
俺をよろけさせるとは。


意外に力あるのな、ゆたか。
そんな事絶対に言えないけど、口が裂けても。



 

「………良いんですか?」


 


ダメなら最初から言い出してないっての。


俺にそんな駆け引きめいた意地悪なんか出来る訳ないだろ。
目を爛々と輝かせてるゆたかに苦笑で答える。

 


「…………やたっ」

 


うん、でもまぁ。


顔の前でちいさな両こぶしを握りしめ喜びを隠さないゆたかを見てると。
らしくもない誘いをしちまうってのも割かし良いもんだなと思う。

 

思考を閉じて過ごすのは、きっと楽だけど。
常日頃閉じっ放しにしなくても、良いのかも知れない。


少なくても、ゆたかの前では。
ゆたかと話している時だけは。


俺は、“正常な俺”に立ち戻れてるような気がして。
それは、“あっちの世界”の俺という意味だけではなく。


戦争を体験する前の。


普通にわがままで。
普通にガキっぽく。


普通に笑って。
普通にカッコつけて。


普通に怒って。
普通に傷ついて。


普通に泣いて。
普通に立ち直って。

 

そんな俺に戻れてる様な気がして。

 


だってそうだろ?
自分でも解ってるんだろ?

 


俺は、ゆたかと話している時だけは。

 

 

喋り方が、全然違うってことに、さ。


 






 

「…………で、何でこうなる?」

 

完全に日が落ちた、今の時間はおおよそ20時。
無人の廃病院の駐車場で、俺は傍らで縮こまるゆたかの頭に手を乗せてごちる。


バイクを走らせること2時間。
S県でも山がちな、と言うか山しかない地域までやってきた俺たち。


10年以上前に潰れた、郊外にありがちな3階建ての中規模病院。
窓ガラスは割れ、カーテンはボロボロに引き裂かれて散々な佇まい。


その上、壁面には赤いスプレー缶で音読不可能な、いかつい漢字で構成された文字群と。
これまた音読不可能なキテレツなデザインで構成されたアルファベット群。


駐車場のアスファルトはひび割れだらけで。
ところどころから雑草がこんにちはしていやがって。

 

ああ、そうだよ。

 

ここはいわゆる“アレ”だよ。
ここいらで有名な“心霊スポット”だよ。

 

だからさっきからゆたかが涙目で縮こまってる訳。

 

つうか何?
ここで何撮んの?

 

や、解ってるよ?
ここまで来て、そこの壁の『誰我独尊』とか書かれた文字を撮るつもりじゃない事くらいは。

      ・
ちなみに『唯我独尊』、な。
それだと何がどう独尊なのか、さっぱり解らないからな?

 


そ ん な こ と は ど う で も い い!

 


や、すまない。少々興奮した。
小さく深呼吸して、調子を戻そうか。


だから俺が言いたいのはだな、何でココなんだよ、と。
縮こまるくらい怖いなら、最初から来なきゃ良いだろ。


他にいくらでも写真撮るのに良さそうな場所あるだろ。
や、俺はこの世界の良さそうなデートスポットとかよく知らないけどさ。

 


つ う か デ ー ト じ ゃ ね ぇ よ!

 


あぁ、もうクソ。
何だって、俺はこんな。

 

コイツにペースを乱されっ放しにされるんだ。

 

悪い気分じゃないとは言え。
逃げ出したくなる様な、この照れくさい心地は正直遠慮したい。

 


「………な、夏休みの郊外研修、で」

 

「………こ………ャ………な……す」

 

 

うん、聞こえない。
全くもって聞こえない


そういえば、知り合ったばかりのゆたかは。
いっつもこんな感じで俯いて怯えてたっけな。

 


―――――はぁ。

 


天を仰ぐ。

 


廃病院が醸し出すこの雰囲気にビビってるゆたかを。
俺がさらに追い詰めても仕方ない。

 

「もっかい、聞かせてくれ?」

 

頭をぽんぽんと軽く叩くように撫でながら言葉を促す。
その効果があったかどうかは解らないが。


ゆたかは徐々に落ち着きを取り戻し。
おずおずと言葉を紡ぎだす。

 

「な、夏休みの郊外研修で」
「この近くでキャンプすることになったんです」

 

「そしたら、ここで肝だめししようってクラスで盛り上がって」

 

「誰か下見に行かないとね、ってコトになって」

 


―――――で、オマエが買って出たと。

 


あぁ、大体把握した。
言いたい事は多々ある。

 

そりゃ、あるさ。

 

当然、あるとも。

 

だがしかし、今は飲み込むとする。
解ってる。それはいくら鈍い俺でも、ちゃんと解ってるから。

 

「クラスの皆に頼られたの初めてだったから」

 

「わたし、頑張りたかったから」

 


―――――だから解ってるっつうの。

 


頭の撫でてやる。
解ってるよ、と心で何度も繰り返しながら。


好きになりかけてる写真があって。
大事な仲間と過ごすかけがえのないイベントがあって。


それが奇跡的にリンクした。
問題となっていた交通面でも俺(ガンマ)という存在が、それを打破した。


なら、誰だって挑戦するだろ。
ゆたかは至って正しい。


例えば、実際。
この陰鬱な雰囲気に包まれた廃病院を目の当たりにして。


足がすくんでしまったとしても。
それを責める事なんか俺にはできない。

 

何度となく目の前のモビルスーツごしの人間を殺す事をイメージして。
いざ戦場で敵と相対した時に、恐怖で動けなくなった事なんか数えられないくらいある。

 

それでもコイツは尚。

 

涙目になりながら。
足をがくがくと震わせながら。

 

小さなカメラを握りしめ。

 

唇を噛み締めて。
自らの責務を果たそうと。

 

必死に戦ってる。

 

その戦いは、俺のそれと比較にならないくらい平和的なもので。
退屈で、呑気で、幸せに溢れていて。


でも、目がくらむほど尊くて。

 

――――――はは。

 

昼前に同じ様な事を考えていた時とはまるで心境が違うから。
自然と笑みがこぼれてしまう。

 

あぁ、そうだ。
俺は、こんなにも自分を乱されて。


こんなにも遠くの存在だと思い知らされながら。

 


もう二度とそんな事を考えるもんかと誓ったはずなのに。

 


こんなにも強く。
こんなにもはっきりと思ってしまう。

 

 






――――――カシャリ、と音を立てて。


今、確かに俺の心にシャッターが落ちた。








自分の心の時間軸を切り取って。
瞬間を形にした感覚に、五感が迸る。

 

閉じなかったからこそ、流れ始めた思考。
流れているからこそ知覚出来て。

 

その果てに、切り取れた“この想い”。

 

それはとても照れくさく。
“この世界”の隅っこでふてくされてた自分には到達出来なかった答え。

 

コイツを見“守る“のも、悪くはないのだけれど。
コイツを“守る”事こそが、俺がこの世界で出来る唯一の事なんじゃないか、と言う。

 

生きることが下手糞な俺の、精一杯の感情に。
能動的にアクセスして、認識する事ができた答え。

 

 

なら、後は簡単だ。
俺は最高の結末なんか目指しちゃいないんだから。

 

大事なのは、例え無様に失敗したとしても。

 



最高の努力をしたと。

 



胸を張って言えるかどうか、なんだ。



 




「……俺が行ってくるから」


「ゆたかはここで待ってろ」

 

 

それで、その結果がこの言葉。
今イチ配慮に欠けたその言葉に苦笑が漏れる。


いくらなんでも、もう少し言い様があるだろう。

 

自分でも、それは解ってる。
でも、今はこれが精一杯なんだ。

 

傷つけるかも知れない。
仮に傷つけなかったとしても、不快にさせるかも知れない。

 

それが怖くないと言ったら、勿論嘘になる。

 

だが、怖いからと言って投げ出してしまったら。

 

俺は、“この世界”で。
もっとも大事な存在と。

共に歩くことを放棄してしまう事になる。

 

それは。
それだけは嫌なんだ。

 

だから俺は、失敗を恐れない。

 

今出来る努力をやめない。

 


思考を閉じない。

 


例え上手に出来なくても。
例え下手糞だったしても。

 

想いが伝わならかったとしても。

 

 

「………わたしも行くっ」

「………い、行きますっ」

 

 

案の定、“小早川ゆたか”は。
見掛けによらず、頑固で一途なコイツは。

 

かちかちと、歯を鳴らしながら。
それでも、その提案を拒否する。

 


あぁ、解ってた。

 


オマエはそういう奴なんだって事。

 


身体が丈夫じゃなくて。

 


運動が苦手で。

要領が悪くて。

 

でも一生懸命で。

何事にも真剣に取り組む。

 


ここで、『ラッキー!助かった!』とか言ってくる奴なら。
俺は、こんな提案をしようとは思わない。

 

そもそもこんなとこまでガンマで連れて来ない。

 

もっと言えば、一緒に飯を食おうとも思わない。

 

それを。
その想いを。

 

上手に言葉に出来れば良いのに。

 

でも、俺は困ったような顔をして。

 

ゆたかの頭を撫でてやる事しか出来ない。

 


下手糞でごめんな。
でも、これが今の俺の全身全霊なんだ。

 


「良い子にして、待っててくれ」

 


言葉を変えて。
同じ事を繰り返し言ってやるのが精一杯なんだ。

 


「…………………………」

「…………………………」

「…………………………」

「…………………………」



「…………わかりました」

 

 

たっぷりと時間を掛けて。

ゆたかが、静かにうなづいてくれる。

 

 


「…………自分で言い出したことなのにっ」





「…………ごめんなさいっ」



「…………本当にごめんなさいっ」

 

 


「…………わたし、くやしい、ですっ」

 

 


ゆたかが絞りだすような声でそう呟く。
俯くことなく、でも瞳にうっすらと涙を貯めて。

 

俺の目をしっかりと見据えながら。

 

そんなゆたかだからこそ。
俺は、らしくない方向へ全力で走って行ける。

 

まったく。
本当、“灯台”みたいな奴だよ、ゆたかは。

 

 

「その“悔しさ”を」


「今は俺に預けとけ」

 

 

ゆたかの額に、自分のそれをこつんと当てて。

その想いを俺に移す様に、少し強めに抱きしめて。

 

 

「…………行ってくる」

 

 

名残惜しむ様に、その身体から離れ。

俺はゆたかのカメラを握りしめて、病院へと歩みを進める。

 

 

「…………行ってらっしゃい」

「…………気をつけて」

 

 

申し訳なさそうに呟くゆたかの声に。

 

 

―――――――。

 

 

俺は、右手で敬礼し、そのまま拳を作り。

 


任せろ、と心の中で呟いて。
胸をトン、と叩く。

 


大丈夫さ。
こちとら、戦争経験者だからな。

 

慣れっこなんだよ、こういう場所は。

 


だから、ゆたかはそこで。
ガンマを守っててくれな。

 


あぁ、さっきこの言葉を掛けてやれば良かった。

 


俺は薄汚れた廃病院のエントランスをくぐりながら。

 


今更、そんな事を思った。


 







 

―――――想像以上に暗いな。


 

教室2つ分くらいはあろうかと言う待合室を見渡して俺は呟く。
電源など来ている訳もないのだから当たり前だが。


非常口を知らせる蛍光看板すら、沈黙している室内は。
完全な暗闇となって侵入者を拒むような装いを見せる。

 

――――― ざっ。

 

リノリウム の床にはガラスの破片が散乱しているため、土足を余儀なくされるが。
この状況ではマナー良くという訳にはいかない。

 

申し訳ないが、目を瞑ってもらうしかない。
暗闇だけに。

 

って、何 言ってんだ俺は。

 

待合室のソ ファはところどころが破れ、黒ずんだクリーム色のスポンジが露出している。
こういうのがまた非日常的で、平和な世界を過ごした人達の恐怖心を煽るのだろう。


まぁ、俺はどうとも思わないが。
それより、任された仕事をきっちりこなすとしよう。


とは言っても、ピントを合わせシャッターを切るだけだが。


この暗闇でシャッター半押ししても、オート演算なんか出来ないとは思うが。
マニュアルモードで撮れるほど、写真についての知識はないし。


普通に撮るしかないな。うん。


ごめん、ゆたか。
そこはすまないが、妥協してくれ。

 


―――――――ピッ。

―――――――カシャ。

 

 

シャッターが落ちた瞬間。
フラッシュが焚かれて、室内がパァっと照らされる。

 

ふぅん、なるほど。
この瞬間は結構来るモノがある。

 

だが申し訳ないが、相手が悪かったな。
俺はこの手の恐怖には慣れきってるんだよ。


廃棄されたコロニーにテントを張って、何日も過ごす研修なんて。
ZAFTで同期の奴らなら、誰もが経験してるしな。あれ必修科目だし。


戦闘区域の野戦病院を防衛した時もあるが。
その時でも、夜はしっかり普通に睡眠取ってたし。

 

霊感がない俺は、基本この手の話を信じてないし。

 

大体、幽霊なんてモノが本当にいるとしたら。
ミネルバの中、幽霊だらけだぜ?


でも1回も見たことないし。
ない以上は怯え様がないし。

 

「でも、だからこそ」
「ゆたかがそれを苦手とするならば」

 


――――俺がやれば良いだけだ。

 


そんな些細な事を繰り返し。
愚直に前に進む。


それが“この世界”に、何かを反映させる事なんかきっとない。


でも、だから何だって言うんだ。

 

見返りなんか求めてない。

 

世界がどう とか。

平和がどう とか。

 

そんな事、 今はどうだって良い。
過去あれだけ拘った、意固地な想いを今は切り捨てる。


“この世界”では何一つ上手に出来ない。
何事に対しても下手糞な俺は。


それでも、ゆたかを守れれば。
ゆたかが大事だと思う事だけを守れれば。

 

それで、良いのさ。

 

スーパーエースの称号なんか、便所に捨てて流してやる。
                超  越
今の俺が欲しいのは、“スーパー”なんかじゃない。

 

     特   化
“スペシャライズド”なんだ。

 

これだけは 譲れない。
無様に石にかじりついてでも死守してみせる。

 

俺は“ゆたかだけのエース”になれれば。
他に何もいらない。

 

いるもんか。








―――――――ピッ。

―――――――カシャ。

 


診察室を。

 


―――――――ピッ。

―――――――カシャ。

 


休憩室を。

 

 

―――――――ピッ。

―――――――カシャ。

 


ナースステーションを。

 


―――――――ピッ。

―――――――カシャ。

 


リネン室を。

 


俺はゆたかへの想いだけを胸に刻んで。


それ以外は特に思う事もなく。
事務的に撮影して回る。


その度にフラッシュが部屋を照らす。
だが俺自身はそれに対して特に感じる事は全くなく。


つうか、あれだけの想いを形にしたんだ。
今更怯む事なんか、あるかっつうの。

 

結構、恥ずかしかったんだからな。
ちくしょう。

 

咳払いを一発かまして。
俺は最後に残った場所、屋上へと向かう。

 

まぁ、なんつうか。
最も呑気な場所だからな。


俺がゆたかと昼飯を食ったみたいに。
多くの人が安らぎを求めて集う、そんな場所。


何か、気が抜けるな。
診察室を最後に残せば良かった。

 

「まぁ、いいや」

 

さっさと撮って戻ろう。
一人にしてるゆたかが心配だ。


変な奴に絡まれたりしてたら不味いし。

 

そんな事を考えたら、少々不安になってしまい。
俺は急ぎ足で屋上に向かう。

 


―――――――ぎ………ぃ。

 


錆び付いて固着しかけた鉄扉をこじ開けて。
こじんまりとした屋上へと足を踏み入れる。

 


―――――――むわっ。

 


ぬめっとした心地悪い風が頬を掠める。
何だ、急に湿度上がったな。

 

そんな事を考えながら、駐車場を見下ろして。
ガンマの前で佇むゆたかを確認して一安心する。

 

―――――――。

 

そこでゆたかに手を降りかけて。
数秒考えて、結局やめる。


駐車場はまだ街道の灯かりが届いて明るいから。
俺からはゆたかが確認できるけど。


ここは一切の照明がないから暗いし。
ゆたかからは、俺が手を振ってる所なんか見えないしな。

 


よし、じゃあ撮るか。

 

 

―――――――むわっ。

 

 

再びぬめっとした風が抜けていく。


くそ、嫌な風だ。
帰りに雨降らないだろうな。

 

 

そんな事を考えながら、シャッターに指を乗せ。

 

 


何もない真っ暗な空間に向かって。

 

 

 

形式だけ整える様に。

 

 

 

ピントを合わせて、シャッターを半押しにして……。




 





  ――――――顔認識しました――――――

 

 

ピッ!   ピッ!      ピッ!       ピッ!
[+]   [+]      [+]       [+]  
                    ピッ!  
      ピッ!        ピッ!  [+]     
 ピッ!   [+]    ピッ!  [+]  
 [+]         [+]  
       ピッ!             ピッ!
       [+]       ピッ!    [+]
    ピッ!          [+]  ピッ!
ピッ!  [+]     ピッ!       [+]  ピッ!
[+]         [+]           [+]  
    








 

「………………………………」


「………………………………」


「………………………………」

 

 

「………………………えっ」

 

 


―――――えっ?

 

 

ってか、何?

 

 

えっ?大勢?

 


思考が完全に空回る。
体育館を靴下で全力疾走する感覚。

 


や、状況は解ってる。

 


解ってるけど、正解を本能が拒否してるから。
脳みそが理解、肯定、拒絶と目まぐるしく反復横跳びを繰り返し。


考えが全く纏まらず。


元パイロットの面影を全く無くして、俺はその場に立ち尽くす。

 


―――――――むわっ。

 


頬を抜けるぬめっとした風に背筋が凍る。

 


って言うかさァ。

 


さっきからこの頬を抜ける風みたいな?
ぬめってしたのって?


えっ?


や、つうか、えっ?

 

 

――――――ぬめり。

――――――ぬめり。

 

 

両頬をそれがかすめ。

 

 

――――――さわ。
――――――さわ。

 


耳たぶをなで上げられる。

 


――――――さわ。

――――――さわ。

 

――――――さわ。

――――――さわ。

 

――――――さわ。

――――――さわ。

――――――さわ。

――――――さわ。

――――――さわ。

――――――さわ。

 

 

 


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」

 

 

 

四方八方から顔を撫で上げられて。

 

俺は声にならない悲鳴を上げて。

 

 

恥も外聞もかなぐり捨てて。

 

 


俺は、転がるようにしてその場を逃げ出した。





 






 

「シンさん、おかえりなさっ……って、えっ」

 


あたかも短距離走者の様なダイナミックなフォームで。
エントランスを駆け抜けて、帰還した俺は。

                              いざな
ゆたかの言葉を遮るようにして、その手を掴みガンマへつかつかと誘う。

 


「あの、えっと、シンさん……?」

 

言えない。
言えるはずがない。

 

『屋上でシャッター半押ししたら、たくさんの霊の顔を認識したぜ!』

 

とか、怖がりなゆたかに言えるはずなんてない。

ゆたかは怖がりだからな。


そんな事言ってはダメだ。
ダメなんだ。


ゆたかは本当に怖がりだからな。

 

別に俺がビビってる訳じゃないから。
違うって言ってんだろ。

呼吸を整え落ち着きを取り戻していく。

 

とにかく一度冷静になってだな。
一刻も早くここを去ろう。

 


「心配しなくてもちゃんと撮ってきたから」

「それより、一人で怖くなかったか?」

 

出来る限り冷静を装って。
握りしめた手の力を少し緩めて。


不安げなゆたかにそう告げる。

 

「あ、はいっ」

「ずっと不安でしたけど……」


       ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「シンさんが“屋 上 か ら 手 を 振 っ て く れ た”の見えましたから」

 

 

………………………。

………………………。

………………………。

 

 

 

「……………ハァイッ!!」

 

 

威勢よく掛け声を上げて俺は。
ゆたかをひょいっと抱き上げて、ガンマのリアシートにしゅたっと座らせる。

 


もう駄目だ。
ありえない。


ありえないって。


ここにいちゃ駄目だ。
絶対おかしい。

 


「えっ、ちょ……、シンさん?」


「な、どうしたんですかっ!?」

 


大丈夫だ、ゆたか。
一刻も早く家に帰ろう。

 

安心しろ。
ガンマなら、“追ってきても振りきれる”。

 

「えっ」

 

ゆたかの声を遮るように、キック一発でエンジン始動。
迅速に互いのヘルメットを装着し、準備は完了。


クラッチを切って、ギアをローに。
回転を合わせて、クラッチを繋ぐ。

 


「ちょ………っ、なにがどうなってるんd」

 

 

――――――カァァァァアァアアアアアアン!!

 


ゆたかの悲鳴とガンマのつんざく様なエグゾーストノートが。
夜の郊外に飛散して消えていく。

 

くそ、やっぱり。
解ってた事だけど。

 

誰かを守ると言うのは。
とんでもなく難しい。


つうか、せめて物理攻撃が通りそうな相手と相対したいっての。


幽霊とか反則だろ。
勝てる訳ないじゃないか。

 

まぁ。
なんだ。

 

何はともあれ、ゆたかには悪いがこの肝試しは中止だな。
一年の教室に行って、俺が直接説明しに行くとしよう。

 

連れ添ったって、このザマだ。
悪いけど、俺と離れた状態で送り出せる場所じゃない。

 

この近辺には、この廃病院が潰れたお陰で、そこそこの規模の病院がないみたいだし。
万が一、ゆたかが体調を崩した時に不安が残るとでも言えば、納得してくれるだろう。

 

それでも尚、敢行する様な連中なら俺も黙ってはいないけど。
泉の話を聞く限りじゃ、きっと解ってくれそうな連中だと思うから。

心配には及ばないだろう。

 


それとこの際だから、言ってしまおう。

 

自分が変わったな、と思う大きな心境の変化がもう一つ。

 


“この世界”に来て、何ヶ月になるか。
ちゃんと数えた事は、なかったけれど。

 

 

今日俺は、初めて。

 

 

早くあの家に帰りたいと。

 

 

心から思ったのでした(泣)!!

 

 

 


―――――――カァァァァアァアアアアアアン!!!

 

 

 


ちゃんとアイツら、“振り切れてる”かな、俺(泣)!!?

 

 


 






   an epilogue:I'll be right here.





もそもそと寝返りを打つこと8回目。
時間は日付が変わって大分経つころだというのに。

 

うぇぇん、目が冴えて眠れないよぉ。

 

えっと、あの、ですね。
それは、なぜかと言うとですね。

 

わたしの部屋のベットの横に、ですね。
すぐ横の床に、ですね、


シンさんが、毛布にくるまって寝てるんですよ(泣)。

 

なんだか、凄く怖い思いをしてしまったらしくて。
家に帰ってからも、凄く怯えていて。


お風呂でも「そこにいるのは解ってるんだからな!」って。
大きな声を出したりして。

 

それってわたしのせいだから。
なんとかしてあげたいな、とか思って。

 

今日一緒に 寝ませんか?って良く考えもしないで言ってみちゃって。
そしたら、こうなっちゃった訳です。

 

もう、わたしのばか。

 

普通、こういう時。
ちゃんと女の子として見てくれてる人だったら、来ないと思うし。


来たとしても、なんていうか。
や、あの、なんでもないです。

 


うー。
どうしよう、新聞屋さんのオートバイの音が遠くで聴こえる。

 

これって3時過ぎってことだよね?

 

絶対、明日起きれないよぉ。

 

でも何としてもシンさんより先に起きなきゃ。

 

寝癖ですごいことになってる髪型とか。
寝起きで別人みたいになってる目とか。

 

そういうとこ、絶対に見られたくないし。

 

寝汗で汗臭かったりとか、恥ずかしくて死んじゃいそうだし。

 

だから何とかして。
意地でも寝ないと。

 

うん、これはもはや女の子の意地なのです。

 

でも、こういう時。
あせればあせるほど、眠りにつくのはむずかしくて。


そもそも、絶対起きなきゃとか考えながら。
眠りにつくなんて、至難のわざなんだけど。


それっていざその時になると、忘れて堂々巡りしちゃうんですよねー。

 


「うぅ、眠れない」

「うぅ、眠 れない」

 

思わず、声に出してしまった瞬間。
二人の声が奇跡的に重なって。


はっと二人して、息を飲む。

 

シンさん、まだ起きてたんだ。
でも、きっとシンさんも同じこと考えてるんだろうな。


なんて、そんなことを思って。
ついついシンさんを覗きこんでしまって。

 


―――――――。

 


思いがけず二人の目が合ってしまって。


なんだか、おかしくなって。
二人分の笑い声が重なって。

 

 


「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 

 

 

本日2回目のおやすみの挨拶を交わして。
わたしたちはゆっくりとまどろみの中に落ちていくのでした。

 

 

 

 

 


ちなみに、後日談ですが。






しっかり寝坊したわたしは。
シンさんの「ゆたか、ヨダレすっげぇ」の一言で。




飛び起きることになりましたとさ。


 


うう……………恥ずかしいよぅ。









as a “specialized”:Thank you for your time.
                      →next story:



  

                               


                         

project TEAM FLYDAY 
Sinse            07/25/2006
Last Update    07/01/2013