「―――――目標地点へ到達」
「パイロット、機体、共にコンディション良好」
「作戦につき、これより一切の通信を断つ、オーバー」
事務的にそれだけを言い放ち。
俺は、シートからまだほのかに降ろしたて特有の匂いを放つ。
ZGMF-X42S“デスティニー”を、資源衛星の影側へと静かに移動させる。
太陽光が資源衛星の影となるこの領域は。
マイナス150℃を下回る、極寒の世界。
ノーマルスーツを着込んでいたとしても。
一度外に投げ出せれば、長くは保たない。
酸素の前に、体温維持用保温装置の電力が底をつく。
でも、まぁ。
そんな話は、今は置いておくとして、だ。
今回のミッションは、歴戦の戦術士達からの反発を突っぱねて。
FAITHの権限を行使して、強引に立案、実施された作戦な訳だが。
――――――――。
――――――――。
――――――――。
この作戦の“唯一の実行要員”である俺は。
特に発する言葉もなく。
特に思う事もなく。
手筈通りに、デスティニーを資源衛星へと極力静かに機体を寄せさせて。
全てのスラスターの出力を絞り、最低限のアイドリングを保ったまま。
資源衛星掘削調査用のボーリング重機群の狭間に着陸させる。
とうに(10年は前だろう)廃棄されたこの資源衛星。
無人の現場は荒廃し切っていて、人はおろか生命感を全く感じない。
だが施設の一部はまだ“生きて”いて、
その結果、いくつかの重機は待機電流を受けてコンソールが淡く点灯している。
俺はデスティニーの出力を限界まで絞り、重機のそれに紛れ込ませ。
重機の支柱と一体化する様に、機体を潜ませる。
ぶっちゃけ、こんな偽装は普通バレる。
電力量がまるで違うしな。
相手がよっぽど無能な馬鹿でなければバレる。
けれど、これで良い。
ディスプレイの『Sleep:OS』 の文字を見つめながら、そう呟く。
緊張とか高揚とか、そういう感情は全くなく。
ただ事務的に、その時を待つ。
――――――――。
――――――――。
――――――――。
――――――――来た。
5機のモビルスーツが下手糞な編隊を組んで、資源衛星に近寄ってくる。
ミネルバに存在する三人のFAITHの一人である、あいつの予想通りに。
廃棄されたとは言え、微量な資源を有しているこの衛星を視察に。
5機の素人じみた敵が、無警戒で“こんにちは”してきやがった。
さすがだよ、レイ。
全く疑ってなかったんだぜ、俺。
この資源衛星は安全区域ではない。
この領域は戦闘そのものが禁止されている訳ではない。
ただし戦艦の侵入は禁止されている。
故に駆動用バッテリーの維持に不安を生じさせるため。
事実上、モビルスーツによる戦闘行為が困難となっている。
その例外の機体が何体が存在するのだが、そのほとんどはあちらさんの所属。
だが核エンジン搭載の機体はZAFTにもデスティニーを含め、二機存在する。
つまり、この領域は。
充分にハイレベルな戦闘行為が可能な訳だ。
まだ敵の一般兵は伝わってないかも知れない。
でも指揮官クラスなら知ってて当然の情報だ。
でも、奴らはこうしてノコノコ来た。
安全区域ではない、この領域に。
戦闘行為が起きることを全く想定していない、素人同然の編成で。
歴戦のベテラン戦術士の理論をことごとく瓦解させ。
親友であり、好敵手でもあるレイ・ザ・バレルの予想通りに。
フリーダムも。
ジャスティスも。
そのどちらも随行させずに。
悠然と行軍してきやがった。
………普通考えもしないだろ。
いくら資源が枯渇してるからって。
平和ボケのお花畑頭でヘラヘラと。
こちらにその属性を持ち得た機体が存在することを知らないのか。
もしくは、その存在を知りつつも。
駆逐される可能性を想像すら出来なかったのかは、知る術がないけれど。
あの、オーブの総大将が。
安っぽい正義感、使命感、etcを沸かせて。
奴にお似合いな安っぽい金ピカの下品な機体で。
総大将自ら、馬鹿面引っさげてノコノコ出てきやがった。
て、言うかさァ。
いちいち、そう言うのがさァ。
しゃく さわ
「………癪に障るってンだよッ!!!!!」
一気にスロットルを開放!
両足のペダルを蹴っ飛ばし、数ノッチ戻して固定!
目の前のディスプレイに『Reboot:OS』 の文字が流れ飛ぶ!
一気に臨界まで突き上げたデスティニーの魂に、更に鞭を入れる!!
回しすぎの警告BEEP音がけたたましく鳴り響くが知ったこっちゃない!!
「……あのッ!」
踏み込んだ両対のペダル!
脚部スラスターから迸る光!
「……金ピカのッ!!」
前方に跳ね飛ばす両対のスロットルレバー!!
さながらカタパルトから発進する様に、ボーリング重機を蹴り飛ばし、敵機との距離を一気に詰める!!
「……大将機をォォォッ!!!」
背中に展開する、鮮血を彷彿とさせる紅の翼!!
さながらアンタ達を地獄へ誘う、悪魔の様に!!
――――――ッ!
一気に起動させたデスティニーを敵の索敵センサーが捉え、
動揺を隠そうともせず、おたおたとこちらに向かって戦闘態勢を取る!
「遅いんだよッ!この下手糞ッ!」
熱 源
大体、索敵の前に“Heat source”で気付けよ!!
戦闘態勢なんかOSのプリセットモーションに頼らずマニュアルで取れ!!
「そんな力量でッ!!」
「戦場に出てくるなってんだッ!!」
両手の中指と薬指のボタンを同時に握りこんだまま!
脇を締め両手で掴んだレバーを、力の限り引き絞る!
デスティニーがそれに連動し、両肩のビームブーメランを鷲掴む。
目標を睨んだ視線の先を、OSが素早く追従し!
眼前のモニターにターゲットアイコンが点灯する!
――――――ピッ!
ブーメラン帰投シークエンスの演算終了のBEEP音と共に!
――――――ッ!
両手でトリガーを全解放!!
「OSは、こうやって使うんだよッ!」
続けざまに二対、“あさっての方向”にビームブーメランを射出する!
金ピカの取り巻きが、マヌケにも完全に足を止めてそれを目で追う!
デ コ イ
「……ッハ!“おとり”にガチ反応ですかァッ!?」
「素人かっつーのッ!!!」
スラスターを全開に!
デスティニーを横薙ぎに飛ばしながら、がら空きのコックピットに照準を合わせる!
右手の中指でボタンを押しっぱなしにしながら、固定標的と化した馬鹿共をロックして!
人差し指でビームライフルのトリガーを連続で弾く!
取り巻きの機体を次々と、真空の宇宙空間特有の無音花火に変えていく!
「1つ、2つ……3つっ!」
あたふたと体勢を立て直そうとする最後の1機を体当たりで弾き飛ばす!
だからOSのプリセットモーションに頼ってるんじゃないっての!
ラスト
「…………4つっ!」
正確無比にコクピットを打ち抜き、最後のマヌケが閃光に消える。
――――――クッ。
――――――ハハ。
下手糞が戦場に出てくるから悪いんだよ。
て言うか何ですか?
ひょっとしてアレですか?
『姫様の護衛だ!』とか?
『光栄の至りだ!』とか?
むせ
咽び泣く様に言っちゃってェ?
恐悦至極のあまり、昨日寝れなかったりしたんですかァ?
だったら、そいつはご愁傷様でしたね。
全ては“奴”の力量不足を見誤ったアンタらの責任ですよ。
お代が“自分の生命”とは、随分と高くついたモンですねェ?
や、その程度の認識力しか練り上げられなかった人生なんて?
割かし安いのかも知れないけどさァ?
でも、そうだな。
それはそれとして。
“大将”は敗戦の責任を取らなくちゃダメだよなァ?
そうだろ?
解ってるんだろ、“オマエ”もさ。
“オマエ”の代わりに“散った生命”は。
“オマエ”にとっちゃ、“安く”はないんだろ?
つう訳で、だ。
今度こそ償えよ、金ピカの宝玉。
俺が断罪の刃をくれてやるからさ。
遠慮無く、目も当てられないくらい無様に墜とされとけ。
さぁ、覚悟はいいか?
“自分の罪”を“全て”かき集めて、その胸に抱けよ。
そしたら、その中身の詰まって無さそうなアタマごと。
「………オマエの首を、叩き落としてやる!」
ペダルを踏みしだき、解放するスロットル。
虹色の粒子を撒き散らし、デスティニーと金ピカの距離を詰める。
――――――ッ!
恐怖におののいたのか、それとも冷静に応戦したつもりなのかは知らないが。
金ピカが苦し紛れにビームライフルを乱れ打つ。
「ハ、馬鹿ですかァッ!?」
こぼれ落ちた罵声と共に唾が飛ぶ。
当たる訳ないだろ、そんなものが。
そういう時はさァ?
オートターゲッティングシステムをモード2マニュアルにするんだよド素人。
モード3はスナイプの時にアシスト気味に使うんだよ。
何をとっちらかって初歩ミスかましてんだよ。
アンタそれでもナチュラルじゃ“やる”方なんだろ?
―――――――――――。
連射を掻い潜る。
つうか、ウザい。
興醒めするだろ、バァカ。
つうか、いちいち言わせんなよ。
そんなヘボい射撃がさァ?
当たる訳、ないんだよッ!
「……最後は直接トドメを刺してやるッ!」
ビームライフルを投げ捨て、長い滞空時間を経て。
演算通りの挙動で、弧を描いて戻ってきた二対のブーメランを両手で掴む。
そのままサーベルモード二刀流で、ライフルを狂った様に乱射する金ピカの………。
「八つ裂きにしてやるよッ!!」
―――――ガガッ!ガガッ!
両腕を肩から切り落とし!
「まだまだッ!」
―――――ガッ!
胸部に蹴りを入れて距離を開ける。
コクピットを避けたのは、それで殺しちまわない配慮だ。
「ハハッ、これで終わりだと思うなッ!!」
そうさッ!
簡単に死ねると思うなってんだッ!
ビームブーメランを再度投げつけて!
両足を切断する!
「アッハハ!!いい格好になったじゃないかよッ!」
嘲笑がこぼれ落ちる。
だが、気は緩めない。
全力で最後まで殺し切る。
もう二度とヘマはしない。
右手の親指、中指、薬指でボタンを握りこんだまま、ゆっくりとレバーを引き絞る。
デスティニーの右手がそれに連動する様に、背中へと導かれ。
大剣“アロンダイト”の柄を掴む。
―――――――ガッ。
そのまま一気にレバー倒しこんで。
中折れ式のアロンダイトが展開して。
機体を超える長さの両手剣へと。
アロンダイトは、あるべき姿へと。
“断罪の刃”へと、その存在を変えていく。
「……コイツで確実に息の音を止めてやる!!」
「……オーブのお飾り総大将!!」
両足でペダルを床が抜ける程の強さで踏み抜く!
両手で壁を殴りつけるようにレバーを突き出す!
「オマエが!」
「オマエが!!」
「オマエがァ!!!!」
最大加速で金ピカとの距離を詰めて行く!
デスティニーの紅い翼から禍々しい虹色の粒子が漏れ落ちて!
漆黒の宇宙空間を怪しく照らす!
そう、まるで!
俺の仇討ちを祝福するように!
「父さんをォッ!!」
「母さんをォッ!!」
アロンダイトの刀身に最大出力でビームを展開!!
“ぶった斬って”やる!!
“突く”んじゃんなくて、“ぶった斬る”!!
本来実力が伯仲してたらありえない“縦斬り”を!!
圧倒的に力が劣るオーブの“お姫サマ”の脳天に!!
全ての怒りを込めて、全身全霊で叩きこんでやる!!!
「マユをォォォォォォ!!!!」
四肢を失い防御はおろか。
AMBACで姿勢制御することすら叶わず。
さらけ出した、その無防備な脳天に。
渾身の力で、アロンダイトを。
全出力で。
叩きこんで。
その断末魔を。
引き裂いた機体越しに聞いてやる。
その断末魔を。
―――――――い。
妹の。
―――――――い、たいよ。
たった一人の妹の。
―――――――お、にい、ちゃ。
マ ユ の 声 で。
機体同士が接触した振動が肌を伝わって。
全身から染み入ってくる様な、その声で。
金色のモビルスーツから。
金色のモビルスーツから?
マユの声で?
妹の断末魔を?
―――――――お 兄 ち ゃ ん !! 痛 い よ ぉ !!!
「…………つまり、弥生文化の到着が遅れた東北地方で」
「縄文文化が特化した形で進化したのが、“三内丸山遺跡”と言うわけですねー」
集中力が切れ掛かる4時限目。
退屈な授業に耳を傾けて。
縁もゆかりもない“この世界”、ひいては“この国”の歴史を学ぶ。
ハハ。
何の冗談だ、コレは。
そんな事を心の中でごちりながら。
俺は、教師の「ハイ、ここテストに出しますよ」と言う脅迫めいたセリフを受けて。
その前に口走った説明を、出来る限り漏らさずノートに走り書いていく。
そんな俺を尻目に。
まだ名も覚えていない周りの連中が。
先生の目を盗んで。
楽しそうにひそひそ話を始める。
どうやら放課後に遊びに行く約束でも取り付けてるみたいだが。
正直俺にはどうでも良い話題だ。
だが、それでも。
―――――しゃしゃ……しょしょ……。
―――――しゅしゅ……しゃしゃしょ……。
ひそひそ話特有の息を抜いた“サ行”だけが妙に耳に突き刺さる。
表現に窮するいづらさに眉をひそめて、じろりと軽く睨みつけてやれば。
―――――――わ、睨んでる。
―――――――ご……ごめんね、うるさかった?
―――――――チャットにしよっか。
―――――――だね。
なんて、急に聞き取れる滑舌でそんな事をこぼすもんだから。
こちらも辟易として、眉間にシワを寄せて視線を逸らす。
ハハ。
解ってたけど、思い知る。
俺は“ここ”では、あまりにも場違いだということに。
“ここ”は、平和で退屈で呑気で。
そして、皆狂おしいほど、幸せで。
ただひたすらに“それ”を目指して、何もかも犠牲にしてきた俺なのに。
“その努力が何一つ反映されてない”この平和なこの世界は。
まるで“俺の人生全てを否定されている”ような。
そんなどうしようもない疎外感を感じさせてくれる毒物みたいな苦々しい舌触りで。
だから当然。
この言いようのない違和感だらけのこの世界で。
その輪の中に入っていける訳がないし。
というかむしろ。
本音を言うのならば。
戦争がない世界“しか”知ることのない、同年代の人間と。
戦争という世界“だけ”で現状を形成をしてしまった俺は。
挨拶一つですら、どう接して良いのかが解らない訳で。
価値観が、常識のありかたがそもそも違いすぎる訳で。
言ってしまえば、人殺しを評価されて階級という形で自身を高めて行った俺と。
勉強やスポーツ、容姿や性格を評価されて自身を高めて行った彼ら。
成り立ちからして、何もかもが違いすぎる。
この壁を乗り越えるのは無理だ。
困難とか、そんな曖昧な括りではなく“不可能”だ。
―――――――。
―――――――。
―――――――。
教師が読み上げる教科書に耳を傾ける生徒達。
考えてることは恐らく。
『次当てられませんように』とか?
『早く飯の時間にならないかな』とか?
『今日の部活がんばろう』とか?
『放課後にデート誘ってみようかな』とか?
そんな事で溢れてるんだろう。
それはとても尊い平和そのものであってだな。
誇るべきことなんだとは思ってる。
例えば。
『敵の急襲に備えて気を張っておかなければ』とか?
『たとえ相手が初出撃の素人兵でも躊躇なく殺さなければ』とか?
『悲しみを憎しみで塗り替える方法を追求したり』とか?
『憎しみを懲悪にすりかえる理論を夢想してみたり』とか?
今でも気がつけば、そんなことに思考を持っていかれる俺なんかに比べれば。
益体もない平和を満喫している彼らは、どうしようもないくらいに尊く、綺麗なんだと思う。
勘違いして欲しくないが、俺は自分を正当化するつもりなんかない。
むしろ断罪して欲しいくらいだ。
“異物”である俺を、口汚く罵ってくれればどれだけ楽だったか。
だがそれは期待出来そうもない。
結局のところ。
彼らは戦争を知らない。
知らないから、否定も出来ない。
否定という概念にすら辿り着けない。
そして、俺の周りの連中は。
呆れるくらいに綺麗だから。
唯一出来るはずの“拒絶”ですら、しようとしない。
それはそれはもう。
直視できないくらいの眩しさで。
気が遠くなるほどの距離感で、隔たりを感じてしまうほど遠すぎるから。
そう例えば、それは地球の端から端とかの類じゃなく。
最も遠い恒星までの距離とか、そういうレベルの話で。
―――――――。
音を立てず
に溜息を吐く。
良いんだ、
それで。
俺はここでは、単純に“異物”で良いんだ。
考えるのをやめよう。
思考を閉じよう。
もう充分だ。
苦しさなら、それこそ十二分に味わった。
これ以上あがいてまで欲しいものなんか、この世界にはない。
友達であったりとか。
家族であったりとか。
“俺が支払った代償が何も反映されてないこの世界”では。
当たり前の幸せであっても、到達できるはずがないし。
たとえそれが勘違いで。
簡単に出来ることであったとしても。
それは何だか違う気がして。
そこで、“ばち”と脳みその奥が弾けそうになったけど。
それは砂漠の様に乾いた俺の心に反響せず不発した様な音を立て。
悲しそうに残響を飛散させながら、収束していく。
そう、これでいい。
今の俺に“そんな力”は、手に余ってしまうから。
――――――――。
――――――――。
――――――――。
昼休みでざわつく廊下を。
眉間に皺を寄せて、歩く。
小突き合ってふざけあう男子達を。
きらびやかなスマフォケースを互いに見せ合う女子達を。
頬を染めて語らうカップルを。
かわ
俺はただ、無表情で躱して歩く。
購買までの道のりが、いつも以上に遠く感じて辟易とする。
“異物”だろうと、なんだろうと。
“場違い”だろうと、なんだろうと。
“時間は、万人に平等”であり。
“空腹もまた平等”である訳で。
馬鹿みたいにふてくされてみたところで。
どうしたって、人は食わなきゃ生きていけないし。
死にたいと言うほど、感情が極まってる訳でもなく。
飢えに耐えるほど、抗いたい何かがある訳でもなく。
何をとっても、中途半端な自分に呆れてしまう。
怒りを覚えるほど感情が振れてるほどでもないところが。
笑ってしまうくらい、今の俺らしい。
「…………はぁ」
日々は、かくも虚しく。
その色彩は精彩を欠く。
一人虚しく愚痴を心で反響させつつ。
左手の指先を、軽く壁に触れさせながら階段を下る。
―――――と。
踊り場に降りたところで、先を行く歩みの遅い女子学生に遭遇し。
ペースを乱され、その場でたたらを踏む。
前を歩く小柄な少女。
その見覚えのある2つに結わえた赤み掛かった髪が。
ひょこひょこと揺れる様に苦笑する。
踊り場で見知った奴に出くわして。
思わず表情が緩んで。
バツが悪くなって、またしかめっ面に戻る。
「…………ゆ」
たか、と声を掛けようとして。
数秒間呼吸を止めてフリーズして。
溜息を吐き出して、結局やめてしまう。
泉の話では、学校でのゆたかの評判は悪くなく。
や、むしろ極めて良好であり。
友人も多く、その中でも親友と呼べる相手も何人かいると聞く。
俺と話しているところを見られて評判を落とすのもアレだしな。
ここは、敢えて声を掛けずにやり過ごすのが正解、だな。
―――――くるり。
だってのに、目の前の後頭部は俺の視線を感じてか。
まるで小鳥みたいにふわりと振り返り。
「…………ぁ、シンさんだ」
なんて、よせば良いのに俺の名前まで呼びやがる。
まぁ、そういう奴なんだよな。ゆたかは。
緊迫した空気を読めず(読まず?)に踏み込んで。
空気そのものを柔らかく変えてしまう。
最初はソレがそこはかとなくウザかったと言ったら。
きっと泣くだろうな、コイツは。
そして俺はらしくもなく。
あたふたとなだめて、あやして。
空気をそのものを変えられてしまうのだろう。
「えっと、ぁの」
「ぁ、……そだ」
「シンさん、………“おはようございます”っ」
ゆたかからの唐突の挨拶に。
若干の混乱を覚え立ちすくむ。
――――『おはようございます』って、今、昼だぞ?
単にいつもの天然炸裂なのか。
それとも何か意図があってのことなのか。
眉間の皺を深くしてその真意を探る。
「“おはようございます”、で良いんです」
「だって今日、わたし日直で早出だったから、朝行き違いになっちゃいましたもん」
いぶか
訝しむ俺を意に介する様子もなく。
怯みもせず、ただふわりと笑って。
小早川ゆたかは、柔らかく微笑む。
「だから、仕切り直しの“おはようございます”、です、よ?」
―――――――くそ。
柄にもなく嬉しいと思ってしまった自分に、心の中で舌打ちをする。
そういう“駆け引きなしの暖かさ”を不意打ちするのは、反則だろ。
―――――――。
でも、不器用な俺の口から紡いだ言葉は。
挨拶一つですら、まともに交わす事の出来ない俺が紡いだ言葉は。
いつもどおりの。
「………………ふぅん」
と言う無味乾燥な一言。
これが“この世界”で過ごす俺の、精一杯の日常会話。
どれだけモビルスーツを扱えようが。
ほとんどの戦術モーションをマニュアルで完璧にこなせようが。
ただ一言、気の利いた挨拶もできやしない。
最低の平和初心者な訳で。
よほどの無能な馬鹿であっても出来ることすら出来ない。
生きていくことが下手糞な、安っぽい偽悪者でしかない。
「…………えへへ」
「午前中もやもやしてたのが、ようやくスッキリしましたっ」
くるりと回ってから横に並んで、共に歩みを進めるゆたかの笑顔に。
掛けてやりたい言葉を必死で探して。
「……………そうかよ」
捻り出せるのは、そんな言葉な訳で。
すまない、と言えば、良いのだろうか。
こんなぶっきらぼうな会話しか出来ない自分をどう詫びれば良いのか。
挨拶一つまともに出来ないこの俺に。
そんな難しい答えを導き出せる訳もなく。
ただひたすらに眉をしかめる。
「あの、シンさん?」
不意に名前を呼ばれて。
なんだよ、と言いかけて、踏みとどまる。
下手糞な反応を返すより。
その先の言葉が知りたくて。
「偶然だけど、お昼に会えて……」
「すっごく、嬉しかった……です」
俯きながら、嬉しそうに呟くその顔は。
本当に幸せそうで。
俺と会えて、嬉しかったと。
ゆたかは確かにそう言った。
俺が、“この世界”で。
何かを成したと言う訳ではないけど。
初めて“俺自身の存在”が。
他人をプラスの方向に反映させられた様な気がして。
それが、何だか。
無性に嬉しくて。
上手く言葉が紡ぎ出せないけれど。
言いようのない、郷愁感が胸からこぼれ落ちて。
鼻の奥が、じわっと焦げ付くような。
そんな衝動に駆られて。
梅雨とは名ばかりの突き抜ける青空。
雲は真夏特有の輪郭をはっきりとさせたそれではなく。
ところどころを千切れさせながら空の青色と混じって。
そよぐ風はただ一言で表すなら“心地良い”に尽き。
――――――カシャ。
そして、切られたシャッター音は空の青に溶けて。
………って、“シャッター音”?
「今日のお弁当の春巻き、接写っ」
あぁ、そう言う事か。
て言うか、女共って写真撮るの好きだよな。
俺は特にそれについてリアクションを取る事はなく、
購買で適当に見繕った惣菜パンに齧り付く。
――――――カシャ。
「いちご牛乳に滴る水滴を接写っ」
良いから食えよ。
昼休み終わっちまうぞ。
なんて思いつつも。
言葉を惣菜パンと共に吟味咀嚼、舌でよく味わった結果、
結局、そのまま胃袋に流し込む。
「えへへ、それじゃいただきまーすっ」
左手で器用に箸を操り、ゆたがは小さな弁当箱をつつき始める。
て言うか、器用なのはサウスポーだから当たり前か。
つうか、その量で足りるのか?
女子の燃費は半端なく良いな。
―――――――。
惣菜パンをかじりながら、空いた手でゆたかが弄っていたデジカメを手に取る。
コンパクトな作りだが、精度が高い造形で、なんだか好感が持てるモデルだな。
電源を入れてからの起動も早いし、オートフォーカスのレスポンスも良好だ。
コレ、結構良い買い物かもしれないな。ゆたかにしては。
「むー、“わたしにしては”ってどういう意味ですかっ?」
あ、まずい。
声に出てた。
なんて言うか他意は全くないんだが。
ゆたかってこういうデジタルモノ扱うの、ものすごく苦手そうなイメージがあるから。
見た目が気に入った予算内のモノを買ったら、たまたまそれが神性能だったみたいな。
そんな想像をしてた、なんてさすがに失礼すぎて言えないな。
今度は絶対に口に出さないように。
唇を仕舞いこむようにして噛んで脳内のみで言葉を紡ぐ。
「………むー」
「………シンさんが大体何考えてるかわかっちゃうからくやしい」
―――――はは。
再度、むーと唇を尖らせてふくれるゆたかを見て。
思わず笑いがこぼれ落ちる。
まぁ、なんて言うか、な。
「食い物とか飲み物とか撮ってるゆたかは想像できるけど」
「正直、人物とか撮ってるゆたかは想像しにくい」
「思いっきり背景にフォーカス合わせて人物ブレッブレな写真撮ってそうな」
―――――むー!むー!むー!
小さな両のこぶしをぶんぶんと縦に振りながらゆたかが必死に抗議の意思表示。
2つに結わえた髪がこぶしに合わせてむんむんと揺れる。
何だ、この可愛い生き物。
存在そのものがワシントン条約とかに引っかかるんじゃないのか?
とか割とどうでも良い妄想が脳裏を掠め、思わず咳払い。
「最近のデジカメは、“顔認識”があるから!」
「わたしだって、ちゃんと撮れるんだもんっ!」
「と……撮れるんです///!」
はは、敬語に言い直した。
別に良いんだけどな、気を使わなくても。
それがゆたかにとって心地良い距離感なら、
特に俺からどうこう言うつもりはないけれど。
で、それはそれとして。
“顔認識”ってなんだ?
「あ、顔認識はですね」
「こうやってシャッター半押しでフォーカス合わせると……」
なるほど、オートで人物の“顔”を判定して、そこにピントと露出を合わせるのか。
それなら誰でも簡単にスナップ写真が撮れるし。
技術的にもそれほど難しいという訳ではないし。
手頃な値段で流通に乗せられる、か。
ふぅん、“この世界”の技術屋もなかなかアタマが柔らかいじゃないか。
「だから、わたしでもこんなふうに………」
――――――ピッ。
フォーカスと露出の演算が完了した電子音。
おい、て言うか、何カメラ向けてんだ。
俺を撮るなっての。
さすがに銃口を向けられてるような錯覚に陥るほどナーバスではなくなったけれど。
得てして男子ってのは写真に撮られるのを嫌がる生き物なんだよ。
――――――カシャ。
って、コイツ見かけによらず容赦ないな、オイ。
まぁ、良いけど。
や、良くないけど。
ムキになるのもなんだし、良いって事にしておく。
「ほら、簡単に上手な写真が撮れるん……ぷくく」
なんだよ。
そこで止まるなよ。
何で肩小さく震えてるんだよ。
「ごめんなさい、ちょっとツボにハマっちゃって……」
差し出された液晶には。
仏頂面の俺が表示されていた。
え、何?
俺ってこんな仏頂面なの?
なんだよコレ。
やばいって、不細工すぎる。
ピントの問題とかで誤魔化せるレベルじゃないって。
消せよ。消せって。
「…………やですーw」
鈴が鳴るような笑い声を混じらせて。
ゆたかが珍しく、おどけてはしゃぐ。
そんな彼女を俺は。
自分でも驚くくらい、安らいだ心地で。
見“守って”いた。