●今回のおしながき

■登場人物:やまと & かがみ(注:シンは出番なし)
■話の長さ:16レス強(おおよそ1時間〜1時間半程度)
■内容成分:シリアス3・熱血3・自転車2・APPEND1
■重要事項:今までこそこそ解らないように表現してたとある設定を、今回から隠さず露骨にアピールしていきます。
      つまり、僕の書く全てのこなシンの世界観は……。







永森劇場APPEND エピソード1.0









「………………ふあぁ………あふぅ」


 

半開きの唇の隙間からこぼれ落ちる、艶かしいかすれ声のあくび。
座椅子と一体化した私は、あくびのモーションと連動して抱きしめたクッションに力をこめる。


それにしてもなんつーはしたない声だ、今のあくびは。
年頃の女の子として今のアレはどうなんだろう。


ちなみに、あくび自体はもう既にこれで3回目だったりもするんだけどね。
退屈のせいか、だんだんセーフとアウトの境界線が曖昧になってきてる気がする。



「―――むぅ」



無気力な瞳で24インチ液晶テレビの画面をつまらなそうに眺める私。
落ち着けるハズの空間である自室に微妙な雰囲気が立ち込めている。


レンタルショップで借りてきたDVDを鑑賞すること2時間強。
場面は今まさにクライマックス直前の盛り上がり



………のはずなんだけど、こみ上げてくるのは涙じゃなくて眠気ときたもんだ。
どうせ私にはその面白さがわからないんだろうなぁ、というネガな初感を更に下回るこの結果に驚きを隠せない。



テレビで評論家がこぞって「絶対に見るべき最高の映画」と絶賛していた話題の恋愛大作。
真に受けて借りた私が馬鹿だった。



場面的には盛り上がらなきゃいけないところなのに、私はいつもの仏頂面で主演の二人の演技を眺めているだけ。




『―――なんでだよ!?お前は死んだはず……!!』
『―――君との約束があるかぎり、私は何度でも蘇るわッ!!』



 

――――はは。なに、これ?


 

思わず苦笑が漏れる。つうかへそが茶を沸かすね。


くどいくらいに“生き返ります伏線”が貼られてたでしょーに。

あまりに露骨だったから、最後にどんでん返しがあるかもとかいう、ほのかな期待もあえなく飛散。
これ、レンタルDVDだったから苦笑で済んでるけど、映画館だったらさすがの私もキレてるかも知れない。

 

「はぁ、もう早く終わって……」

 

祈りが届いたのか、尻切れトンボ風な芝居(何でそこで脚本の手を抜くかなぁ?)の後に流れる荘厳なクラシック曲。
画面がブラックにディゾルブされて、ありがちな文字だけの地味なスタッフロールが始まり、ちょっとだけほっとする。


あぁ、いいね。

曲は悪くない。
キャッチーで耳に残るメロディを奏でるストリングスに、欲しいトコで欲しいだけ強さを増す心地良いホーンセクション。


……でも。
なんというか、うん。



この作品、無駄に曲だけカッコイイから更にモヤっとした心地になってしまう。

なんと言うかカッコイイけど、完全に浮いてるというか。
この作曲者、ちゃんと打ち合わせして曲書いてないんじゃないかと、いらない嫌疑をかけてしまいたくなる。

 


―――ギャイーン

 

そしてクラシック曲を打ち消す様に、唐突に始まる脈絡のないボーカル入りのロック曲にカクンと肘からずっこける。



「あー、あるある。タイアップで売り出した曲のゴリ押しだね。はは、しょーもない」



こっちは完全に打ち合わせしてないって丸わかり。

曲はバンドさんの好みなのか、ディープ・パープルを彷彿とさせる格好良さだけど、まるで場にそぐわない曲調だし、
何よりさっきから歌詞で卑猥な英単語が綱引きの『オーエス!オーエス!』みたいに連呼しまくりで辟易としてしまう。

『アレ(自重)』とか『アソコ(自重)』とか、英語なら良いとか思ったんだろうか。というか純愛映画なんだぞ、これ。

 

そして極めつけは、ロック曲に乗せて四角くワイプされた画面で始まるNGシーン集。
 

ジャッキー・チェンでもここは空気読むよ?
サモ・ハン・キンポーでもここは大人しくしてるよ?



……あぁもぅ、アタマ痛くなってきた。



 
「………もういいや、一応話は最後まで見たし」



――――ピ
 

不快度指数が限界を突破してしまい、リモコンで再生をキャンセル。

専門家オススメの名作への感想として、「………はぁ」と盛大な溜息を肺から一発お見舞いしてやる。
何という時間の浪費。


ホント笑っちゃうくらいつまらなかった。



これならこの前こうが貸してくれた漫画の方がよっぽど面白かった。
いやもぅ、比較するだけ失礼なくらい向こうの方が面白かった。


そういえばアレ26巻で止まってたっけ。
今度続き借りて読まなきゃな。ダイの大冒険。

ちなみに私はマァムよりメルル派だ。



―――って、どうでもいいか、そんなこと。

 


「んー…………っ」

 


大きく伸びをして、酸欠気味の脳みそに酸素を供給。
っていうか、せっかくの休日だったのに、朝から何やってんだろ私。

最近は、アスカ君の予定が空いてないと私の休日は徹底的に暇になる。
一緒に買物でも付き合ってもらおうかと思ったんだけど、先約があったんじゃ仕方ない。


あーあ。
なんか、さみし………。

 

って、こら。

 

「さてと、DVD返しに行こっかな…………っと」ガタッ
 


気を抜いた瞬間に思わずぽろりとこぼれ落ちた本音に心音が飛び跳ねる前に、無理くり思考を別方向にねじ曲げる。
くそぅ、油断した。あのつまらない恋愛映画のせいだ。くそぅ。


とにかくこういうのは性に合わない。

ちょうど今日が返却期限なわけだし?


言っちゃった通り、このつまらない映画をレンタル屋に返しに行こう。
そしたらこのもやもやな気分もすっきりしゃっきり切り替えられるような気がするし。



「………さて」



それはそれとして、返しに行くとか言ったもののどうしたものかな、っと。
手を腰に当てて私は、ふむぅと唸り声をあげる。

そう、駅前のレンタル屋に行くには深刻な問題がひとつ。
ちらりと後ろを振り返る。








そこには全てのコンポーネントパーツを引き剥がされてフレームのみの姿となった私の相棒、
“LOOK・KG171”が、メンテナンス台に鎮座ましましていた。






そう、今たよれる私の相棒は年に1度の定期メンテナンス中なのである。


前後輪ともハブベアリングはユニットごと交換したし、ブレーキシューも新品に変えた。
スポークのテンションを調整して行うリムのフレ取りはそれなりに手間を掛けて完璧に仕上げた。

チェーンも詰めることで誤魔化すんじゃなくて新しいものに交換した。

けれどシフトワイヤーとブレーキワイヤーの交換がまだ済んでいないため、未だに組み付けが行えないでいる。
というか、ワイヤー類がまだ届いていないのだ。

即納って言ってたのに、なにやってるのAmazonは。
やっぱり値段に釣られず、馴染みの店で買っておけば良かった。

こうに指さされて「konozama………wwwww!!!」とか笑われても返す言葉もなかった。


やっぱり遠くの安売りショップより、馴染みのショップだね。
くやしいくらいに思い知ったよ。


心の底から反省。


ごめんねおじさん。
今度練習用のタイヤ買いに行くから許してね。
あ、Cinelliのバーテープも買っちゃう買っちゃう。



「んんっ」

咳払いを一発。



うん、それはそれとして。
まずは現状を冷静に把握することから始めよう。


そう、そういうこと。
ぶっちゃけ今、“足”がない。


レンタル屋のある駅前まではおよそ4キロ。

歩けない距離じゃないけど、自転車なら10分とかからない(まぁ私に限って言えばだが)だけに、
なんとも歩くのは時間の浪費に思えて仕方ない。

と言うか、この上ない時間の浪費を味わった身としてはこれ以上の余分は御免被りたい。


だが無い袖は振れない。これが現実。
相棒を組み付けることができない以上、今の私に足が無いのもまた事実。


路線バスは数年前に営業不振から撤退しちゃったし。
かといってタクシー使うのもバカバカしいしなぁ。
くそぅ、歩くしかないか。



―――――あ、ちょっと待った。



諦めようと別の方向に動き出した思考に急ブレーキをかける。
慣性で諦観方向に滑って行った思考が、ダッダッダッダッとABS(アンチロックブレーキシステム)を効かせてフル制動。



…………や、足はある。
…………あることにはある。



…………あるんだけど、アレに乗る、のか。



ちくちくと、ささくれだった気持ちに何かがじんとしみて。
ほのかに痛んだ胸に思わず苦笑が漏れる。






ぱちん、と両の頬を平手ではたく。


うん。切り替えよう、私。
この際マシンの選り好みができる状況じゃない。


そう、背に腹は変えられない。
返却期限は今日なのだ。



ならばあえて言葉にして己を鼓舞しよう。



「この“オススメ名作かっこわらい”のために延滞料金を支払うなんて絶対ごめんだw」



―――――すっ



私は部屋のスミに立て掛けたまま、ずいぶんと長い間ほったらかしていた自転車に手をかける。
何年もお年玉を貯めて買ったフレームとコンポーネント。



私にとって色々な意味で、全ての“はじまり”。



定期的にメンテしてるとは言え、この子に乗るのはどれくらいぶりだろう。


去年は一度も外に出すことがなかった。


その前の年はたしか桜の季節に乗った記憶があるような。
いや、ちがうな。あれは更に前の年、一昨年のことだ。


でも一昨年なら秋にも乗った気がする。
あれ、あの時はLOOKだったっけ?


駄目だ、もうはっきりとは思い出せない。
つまりはそれくらい久しぶりにこの子に触るってことか。




白地に紫のスプリッター迷彩。



              
              かっちかちのアルミフレーム。


      

     旧105SCで組み上げたコンポーネント。




変速機構だけティアグラに組み替えて9S(9段ギア)化してある、一昔前のセミオーダーメイドマシン。



パナソニックのロゴがダウンチューブに輝く。
スタイリッシュなホリゾンタルフレームのロードフレーム。



私にとって初めての本格ロードレーサー。
私にとって“初めての相棒”。




――――――それが、今ではこの体たらく。








そう、そのマシンは今、“ロードレーサー”とは呼べない姿になり果てていた。



サドルは街乗りを考慮してLOOKより7ミリも下げられていて、ペダルもビンディング式ではなくクリップペダル式。
ペダリングの際専用のシューズを必要とせず、クリップでスニーカーのつま先を包む汎用ペダルに仕様を変えてある。



まぁこんな細かいところは一般の人には瑣末な違いだろうから、特に問題はないけれど。



この子をロードレーサーらしからぬフォルムにしてしまってる、シートピラーからボルト止めされた荷台は
かなり異彩を放っている。


荷を背負うと途端にやる気をなくす私の悪癖から思いつきで装着した後付の荷台。
スタイリッシュなフレームに、まるで似合ってない。


重ねてロードレーサーの象徴、ドロップハンドルではなくブルホーンハンドルに換装されている。


二本の闘牛の角の様に前方に突き出たブルホーンハンドルは、それだけでロードレーサーのアイデンティティを
奪い去ると言っても過言ではない。


こちらはまぁ、好みの問題だろうけど、私は似合ってると思う。
タイムアタックマシンぽくてカッコ良い。うん。



………荷台が台無しにしてるけど。



それからステム周辺のハンドルから90度、地面へ伸びた二本の槍の様な“もう2本のハンドル”。


この奇妙なハンドルは、タイムトライアル用のダウンヒルバー。
これのおかげで直線では相当楽が出来るという魔法のハンドル。


まぁ街乗りでは使用しないのでなんとなく下に向きを変えてるけど、外そうとしないのは私の執着。
……だと思う。いやもう今となってはよくわからないけど。


でもってステムにサイクルコンピューターの台座こそ装備されてるけれど、当然そういう電子機器本体は無装備。
ケイデンス(回転数)も、ハートレイト(心拍数)も、スピードですら一切モニタリングする気がないという意思表示。



そう、つまり。



この子は今。



ロードレーサーであることを放棄させ、シティサイクルへと換装しているのだ。



LOOKに乗り換えた時、何かの気の迷いで仕立て上げた、ロードレーサー風味のシティサイクル。




―――――それがこの子なのだ。




誤解がないように言っておくが、私はこの子を嫌ってはいない。
もっと言えば私はロードレーサーのみを神聖視してるわけでもない。


シティサイクルはシティサイクルの良さがあるし、ミニベロはミニベロで好きだ。
マウンテンバイクも山を走る分にはカッコイイし、堅牢なママチャリは自転車の一つの究極の形だとも思う。



ただ私がこの子を避けていた理由は他にある。



それは―――。



やめよう。




今はそんなことを言ってる場合じゃない。
この子以外の選択肢はないのだから。




「…………………」




トップチューブに指を添える。
きん、と冷えたアルミフレームがまるで響くみたいにわななく。


こん、と自然な暖かさを放つカーボンフレームのKG171とはまるで違った手触り。


そんなことに今更ながら感嘆してしまう。
まぁ、マテリアルが違うのだから当然と言えば当然なんだろうけど。


さ、そうと決まれば時間がもったいない。
財布にDVD、それと万が一のための工具と予備のパーツをトートバッグに詰め込み荷台にくくりつける。




「うへ、野暮ったいw」




そのシュールな姿に思わず苦笑い。
でも愚痴っててもしかたない。



だって、背に腹は変えられないもん(二度目)。



「よっこいせ、と」



KG171よりも重めのそのマシンを肩で担いで、私は部屋を後にした。






―――――――――すぅっ



利き足を踏み出して、見知った道を軽快に乗り出す。


膝丈のスリムなパンツスタイルにタイトな白のダブルジップパーカーという普段着でのペダリング。


専用のジャージと違い肌との密着が緩めの普段着は、向かい風を受けて袖口をぱたぱたとたなびかせ。
束ねていない髪は、ふわりと風になでられ宙に舞う。


いつもより遅いスピードでもトルクフルな風を感じることができて、これはこれで気持ちいい。




―――――――――こつこつんっ




かっちりとしたアルミのフレームが瑣末な路面のギャップまで微細に拾って、私の身体を芯からコツコツとつつく。
それこそ横断歩道の塗装の微細な段差でさえ、頭のてっぺんまでコツンと響く。


魔法の絨毯のようなカーボンフレームに乗り慣れてしまったので、このコツコツ感は“今となっては”ある種新鮮だ。




―――――――――くぃっ




普段履きのスニーカーをクリップペダルに突っ込んで、きつめにベルトを締め込み強めのペダリングを開始。
にゅるりにゅるりと靴底が歪んで脚力を効率悪くこぼしながら、クランクは漫然と回転を上げていく。


下げられたシートで安全で快適なストローク。


いつもと同じハンドルポジションなのにスタイリッシュなブルホーンハンドル。


荷台に荷物を乗せられる利便性。



うん、これはこれで実に快適だ。
風に撫でられた髪が宙を舞うのも心地良い。



利便性。
そして快適性。



ガチンコのロードレーサーとは相いれぬ要素。



でも、ふふ。
やっぱりこれはこれで、嫌いじゃないな。



なんだかんだ言ったところで。
乗り出してしまえば、やっぱり自転車は楽しい。




―――――――――ちくん




そこでちくりと痛む心に、思わず苦笑が漏れる。



まぁ、気楽に行きましょ。
今日のところは、ただのおつかいみたいなものなんだし。




「―――――そう言えば」




気持ちを入れ替えた途端、ふと脳裏をかすめるエピソードがひとつ。


この子がこの姿になる前の状態に、こうがいらん“名前”を付けてたこと思い出す。
なんだか、いかつい名前が気恥ずかしくて、ついに一度もその名で呼んであげることはなかったけど。


その名はとてもとても“いかつい感じ”で。
当時の私は苦笑と共に却下したんだっけか。


へへ。
おかしいね。



どうでもいい話なのに、結構鮮明に覚えてるよ。








 




「ありがとうございましたー!」



青い袋に入ったDVDを受け取って深々と頭を下げるバイトのお姉さんに、私も思わず釣られて頭を下げる。
なんかちょっぴり恥ずかしかったけど、とにもかくにもこうして無事DVDの返却が済んだわけで。


ちらりと時計に目をやると、時間は12時半。
困ったことに、まるっと午後が余った。


正直ここから先はノープランだったため、割と本気で困惑してしまう。


お昼ご飯は走りながらパワーバー(バナナ味)を2本も食べたし、これ以上はオーバーカロリー。


買い物しようにも今日は自転車だから、購入したものを持って帰るのが大変だし。
荷台があるから不可能ではないけど、基本的に私って荷を積んで走るのも嫌いだし。


あれ、てことはひょっとして荷台付けた意義ってあんまりない?w



――――ま、いいや。今更だし。


そう、それはそれとして。


どうせやることないし。
そのへんで久しぶりに一人カラオケでもしようかな。


たしかこの辺とある店舗に、新しくJOYSOUNDが導入されたようなことをクラスの子が言っていたような気がする。


うーむ、JOYSOUNDか。
レパートリーの開拓として、VOCALOID関連でも仕込んでおこうかな。


『マイリスしないで!』とか歌ってあげたら、きっとこうは仰け反って喜ぶだろう。
「だめーぇっ!見ーないでっ!見ぃーないでーぇっ///!」とか媚びた照れ顔でセリフを言おうものなら、きっと半狂乱だ。


へへ。
まぁ、そういうこうを見るのも、正直悪くはない。


なんやかやで、楽しそうなこうを見るのが何よりも好きなんだ、私。
そのためなら少々ハメを外して茶目っ気を見せるのもアリっちゃあアリ、だ。


よし、そうと決まった善は急げだ。
まだ見ぬ新店へレッツゴーといきますか。



「えーと、たしかミスドの先のファミマのとこの角を曲って………」
「その隣に…………あれw?」

「ファミマがコインパーキングになってるw?」


「………えっと、こんなとこに歩道橋あったっけw?」


「あれ?ここの道ってこんな感じだっけw?」」



ここ数年で目まぐるしく発展した駅前商店街の変わりぶりは異常。
そのうえ似たような装飾で並び立つ建物の数たるや、まさに壮観。


一見で目当てのカラオケ屋を見つけ出すことは容易じゃあない。


それどころか自分の居場所をロストしないようにするのも結構難しい。
私は自転車を漕ぐことを諦めて、素直に手押ししながら歩くことにする。


普段履きのスニーカーのありがたさを思わず噛み締める。
いやはや、クリップペダルで良かった。

さすがにレーサーシューズのカーボンの靴底で徒歩散策は御免被りたいし。



えーっと、あっちは本屋さん。
そっちは……リフォーム業に特化したお洒落な建設屋さん。



あれぇ?
この辺のはず、なんだけどなぁ?


うわ、っと誰かと肩がぶつかった。ごめんなさい。


ずり落ちたトートバッグを肩にかけ直す。
歩く時自然だからって肩から下げてるけど、やっぱり荷台にくくりつけたままの方が良かったかな。


それにしても、すごい人ごみ。


休日の昼時という時間も相まってか歩道は人もごった返す。
まぁ、それにしても今日は人が多すぎる気もするけど。


同じ場所に留まって辺りを見渡してると、今度は早歩きのサラリーマンのお兄さんに睨まれて思わず萎縮してしまう。


まいったなぁ
こんなことなら場所ちゃんと聞いとくんだったよ。


人を避けながらちょこちょこと辺りを見渡し目当ての店を必死に探す。




―――――――っ!




一瞬、時間が止まった気がした。



何と言う偶然か。



視界の隅に見知った顔。



いや違う。



正確には“一方的に見知った顔”が。
視界の隅に映りこみ。




そのまま、一瞬で。











私の視界のすべてのフォーカスを奪いとった。








揺れる2つに結わえられた長い髪。
陽の光を浴びた部分の色が黒から紫に変わるその髪。


地味に鍛えた私と違って、女の子らしい自然なスタイル。


現代美術の人物画みたいに整った顔立ち。
意思の強そうな、目尻が上がった、吸い込まれそうなほどの綺麗なその眼。


―――――あの人だ。


あの時、アスカ君とすれ違った時にとなりにいた女の子。


怒鳴り合い、ケンカしあいながら。
彼にひるまず、並び立ったまま歩みを進める凛としたその姿。


今でも鮮烈に眼に焼き付いて離れないその姿。



あくまで対等に彼の怒りを受け止めて。
あくまで対等に彼に怒りをぶっつけて。


あまりに。
そう、あまりに二人が眩しくて。

思わず顔を逸らしてしまったあの時の女の子。


忘れようにも忘れられない、その人が。
息を切らして、公衆電話に駆けて行く。



『はぁ……っはぁ……っ』



両脚が地面を蹴るたびに、ふわりと舞うように揺れる、2つに結わえられた柔らかそうな髪。
まるで一人だけ掛かる重力が違うみたいな、綺麗な交差を繰り返す軽快なストローク。



………くそぅ、走ってるだけなのに、やっぱり雰囲気あるな。



女の私がそう思うんだから、相当絵になっているんだと思う。
だって実際、何人かの男の人が振り返って呆けて見てるもん。


そんな視線なんか目に入らない感じのその人は、駆け込んだ電話BOXに据え置かれてる公衆電話の受話器を
ひったくるように掴み取る。




――――――がちゃっ




『…………………………あ』




――――――かちゃ、ん




受話器を手に取り、そのまま硬直して、受話器を力なく戻す。
そしてそのままうな垂れる。



……………あれ?



なんだろう。
なんか様子が変だ。


この距離でもわかるくらいのうな垂れ方。
こう、おでこを電話機におしつけるように力なく寄りかかって、なんだか今にも倒れそう。



―――――たっ



不思議と考えるよりも先に足が動いた。



電話BOXへ。
うな垂れるその人の元へ。



まるで吸い寄せられるように私は駆け寄って行く。






「あの、どうかしたんですか?」



…………思わず声を掛けてしまった。



特になにか考えがあったわけではない。
そうしなきゃいけないと思った訳でもない。


まるで言ったあとに独り言を認識してしまったような錯覚を覚えてしまう。



「え。あ、…………え?」



一瞬びくりとして、顔を上げたその人はきょろきょろと辺りを見回し、
声の主である私に気付いて、そこで尚クエスチョンマークを量産しては振りまいている。


見るからに警戒している。
それはまぁ、当然だ。


見も知らない相手にいきなり声を掛けられたら、誰だってそうなる。
そもそも私にだって、なぜ声を掛けたかわからないのだ。


話しかけられたこの人にわかるハズがない。



「陵桜学園の方、です、よね?」

そこで、必死に紡いで出たのがこの言葉。



我ながら唐突すぎる。
こうのこの辺の上手さは筆舌に尽くし難いものがあるのだけど、私のそれはあまりにチープ。


仕方ない。
下手は下手なりに手数で勝負だ。


私はもう一手打って外堀を突貫工事で埋めていく。



「八神こうをご存知ですか?陵桜学園2年生の」

「私はこうの中学時代の友人の永森やまとと言いますが……」
「こうから聞かされていた方に容姿がよく似た方が、何か困っていたようなので声を掛けました」



………もちろんこれはブラフ。



というか、このブラフは彼女がこうを知らなければ成立しない。
ちなみに、こうからそんな話は聞いたことがない。


でもまるっきり分の悪い賭けではないハズだ。
これは思いつきで言い放った賭けじゃあない。


ちゃんと論理的思考に基づいたものなのだから。


こうから良く聞かされる泉さんという人とアスカ君は交流がある。

アスカ君の話に何度となく出てくるから間違いない。
ならば、同じようにアスカ君と交流があるこの人は、アスカ君を通じて泉さんとも交流があってもおかしくない。

ということはつまり、泉さんを通じてこうとこの人に面識があったっていいハズだ。



つまり………。



A.こう←→泉さん


………これが前提として、


B.アスカ君←→泉さん
C.アスカ君←→この人

B、Cからアスカ君が二人の共通の友人である事を条件に彼を省いて、D.泉さん←→この人


DにAを当てはめて、E.こう←→泉さん←→この人。


E.の全ての人物とアスカ君が面識があることを条件に泉さんをE.から省く。


∴こう←→この人




……と、こんな感じ。
乱暴な論理だけど、大きく読み間違えてはないハズだ。



どうだ?
この賭けは成立するのか?




「八神さんの……お友達なの?」



ぃよしっ、成立っ!



心の中で朝青龍ばりのガッツポーズが飛び出る。
こうから『ヒロインの品格がない』とかからかわれても仕方ないほど豪快に。


「はい、腐れ縁と言いますか……」
「こうは私の中学時代からの友人なんです」


「あ、こうとは違う学校なんです、今は」
「聖フィオリナ女学院二年、永森やまとと言います」


そっか、だから私は見覚えなかったのね、と腑に落ちた顔でうなづくその人。
あぅ、何か騙してるみたいで心が痛い。


「はじめまして、かな?永森さん」
「なんでかな?初めてという感じがしないのが不思議ね」


にこりと微笑むその顔。


気を許した途端、優しく細まる切れ長の綺麗な眼。
形の良い唇が笑顔を作ろうとすると、はにかむよう様に現れるえくぼ。


あー、これは凄い破壊力だw
なんて言うか、この笑顔で勘違いする男子多そうだなw



とと、馬鹿なこと言ってる場合じゃない。
何でこんな危ない橋渡ってまで話しかけたんだか、その意味を忘れちゃいけない。



――――――すぅ



小さく息を吸い込む。
さぁ、本題を切りだそう。



「で、一体どうしたんですか?」



普段、めったなことじゃ他人に興味を示さない私をここまで行動的にしたその姿。
まるでこの世の終わりみたいに、力なく肩を落としたその人が。


何でだろうか「ほっとけない」と本能で感じてしまった私。




本能?
なんか違うな。




“記憶”………も、なんか違うか。




でも本能よりはニュアンスが近い。




本能は言わばアクセル。
記憶はガソリン。




私の中の“記憶めいたもの”が燃料となり“本能”というアクセルを踏んで、私を突き動かしたのは間違いない。




まぁ、そんな言葉遊びは今はどーでもいい。
大事なのはそう、ほっとけないなら一体私はどーするのかってこと。



そう、まずは「こうして聞く」。
それが、最初の一歩なのは間違いないんだ。




ちなみに聞いた後はケ・セラ・セラのノープランだ、コンチクショウ。






  








「………そうですか、映画の約束だったんですね」


状況を確認するように私は彼女の言葉をオウム返しする。



「シンとね」
「―――あ、ごめん。高校の友達とね」


思わず苦笑が漏れる。



「アスカ君、ですよね?シン・アスカ」



ここでアスカ君と面識があることを隠しても仕方ないだろう。


ここで会ったのも何かの縁だ。
必要以上にべらべら話すこともないだろうが、必要以上に隠す理由もない。



「こうのクラスメイトのアスカ君なら、話に聞いて割とよく知ってます」



話を円滑に進めるために、私はこのカードを惜しみなく場に捨てよう。



「あ、そか」
「………つーか意外に有名人ね、アイツ」


同じように苦笑して続ける。



「それがね、これってシンのヤツがめちゃくちゃ観たがってた映画だったのよ」
「これ、“カルナザル戦記ガーディアン 劇場版”」



手のひらには一枚のチケットが握られている。


あ、コレって先行試写会のチケットだ。
すごい、非売品だ。初めて見たかも。


「たまたま手に入ってさー、コレが」
「そんで観たがってたからシン誘ってやってさー」


なるほど、“アスカ君の先約”ってこれだったのか。
――――ちくり、と胸に何かが刺さったようなほのかな痛み。



そして、“たまたま”………か。


じぃ、っと彼女の瞳を伺う。



“たまたま”な訳がない。断言してもいい。
はにかんだようなその瞳が“嘘だ”と雄弁に語っている。


でも私は知らない。
そのチケットの入手に、彼女がどれだけ尽力したのかを。


そして彼女はそのカードを伏せた。
この場にはそぐわないだろうと、いや私相手にそぐわないだろうと、そのカードの行使を拒否した。

ならばここは、その流れに身を任せてカードの存在は流して進もう。
今は仕舞っておくべきだ、このみじめな嫉妬という感情は。


そう、彼女の言葉はまだ続いているんだから。


「ホラ、永森さんも知ってるかも知れないけど……アイツそそっかしいから」
「だからホラ、“アンタなくしそうからチケットは私が二枚持ってるから”って言って……」


そう言えば、さっきから手に握られてるチケットは一枚だけ。


ははは。
思わず苦笑が漏れる。


いや、そんなまさか。
まさか預かってたアスカ君のチケットなくした……とか?


「なくしてないってばっ!持ってるってばっ!ほらっ!」


思わずこぼしてしまったその問に彼女はぶんぶんと結わえた髪を振り回して首を振り、
ポケットから取り出したもう一枚のチケットをずずいと私に差し出してくる。


あー、なんというか、この人が慌てふためく様は何と言うか、うん。
一言で形容するなら“めちゃくちゃ可愛い”。


いや、だから私w
そーじゃなくて、さw


んんっ、と咳払いを一発。
うん、これ、思考を元に軌道修正する儀式です。



「ということは、何か別のトラブルに困っている、と」



真相をひとことで突き刺す私の問いに、その人は「うぅ……」なんて儚げに呻いて。
しぼり出すような声でつぶやいた。



「…………それが電車が止まってて、立ち往生してるのよ」



………電車?

ちらり、と振り返る。


そういえば、来た時から駅の方が騒がしかった。
なるほど、さっきから異様に人が多いと思ったけどそういう理由だったのか。


ぶつかりそうになったサラリーマンの人がイライラしてたのも、このトラブルのせいだったんだ。
そりゃ電車が動かないで歩く羽目になったら腹も立つよね。



「深刻なポイント故障とかで、あと1時間は復旧の見込みないらしいの……」
「アイツはバイクだからきっと時間どおりに向こうに着いてるハズなのに……」



なるほど、そういうことか。
楽しみにしてた映画が駄目になるかも知れない、ということなんだね。



それは、なんか。
なんというか。



この人の顔を見ていたら。
映画を楽しみにしているアスカ君の顔を想像したら。



理屈とか、打算とか、嫉妬とか。
そういうのが、全部ぶわーって吹っ飛んでいって。



そう本心から。
なんとかしてあげたくなってしまう。



だってそう思っちゃったんだもん。
仕方ないんだもん。



私は基本、こんなにお人好しではないハズなのに。
どうしてかわかんないけど、どーにかしてあげたくなっちゃったんだもん。




「………携帯でアスカ君に連絡は?」




最初に思いついた打開策を提示する。




そう、まずはアスカ君と連絡を取る。
これが行動の一手目としては正しい選択肢。


そして次に、今の状況を報告する。
これしかないよね、うん。




どーにかしてあげたいからこそ冷静に。
当然のように思いついたそれを言葉にする。




「うぅ……………」




が、しかし。
返ってくるのは、苦悶のうめき声。





「………携帯忘れてきちゃったのよー!!!」





あちゃー…………。


そこで激しく地団駄を踏まれるとは思ってなかった。
なるほど、これは八方塞がりかも知れない。


力なく電話機に突っ伏す気持ちが痛いほどわかるよ。
私もちょっと今うな垂れかけたもん。





「あーもう、こんな時に限って私は!!!!」





………ああ、なるほど。



今、理解した。



さっきの“電話BOXでの硬直”はそういうことだったんだね。
受話器を取ったところでアスカ君の携帯の番号なんて覚えてるわけがない、と気付いたのか。






「………なんとかチケットだけでも渡してあげたいのよ」



噛み締めるように呟くその人。
くやしそうに形の良い唇をしまいこみ、地面を睨みつける。



「ああ、余計なおせっかいなんか焼かなければ良かった……っ!」



言葉に怒気が混じる。
瞳に怒りの色が滲む。



「アイツこの映画すっごく楽しみにしてたのに………っ!」



目尻にうっすらと浮かぶ悔し涙。
そして小刻みに震える両肩。


………いけない。



怒っている自分を自覚してしまうことで、さらに怒りが増すという負の連鎖に陥ってる。
表面張力ぎりぎりの均衡であふれそうなコップの水みたいになってしまっている。


これは、まずいかも知れない。
私にも経験あるけど、こうなってしまうと目の前の打開策を平気で見落とす状態に陥ってしまうんだ。


え……っと、どうしよう。
そうだ、まずは冷静になってもらわないと。




「落ち着いて下さい……えーと……」




ワンクッション入れようと、紡いだ言葉が宙に飛散する。
名前を呼ぼうとして、まだ彼女の名前を聞いてなかった事に気付いてしまう。





―――――気まずい沈黙に、空気が淀んでいく。





やっぱり私って、こういう事は思いのほか下手っぴいなんだな。



………はは、何だかみじめだ。





「あ、ごめんなさい!私まだ自分の名前言ってなかったわよねっ!」


「………陵桜学園3年、柊かがみ、遅れたけどよろしくねっ!」





もごもごと口ごもる私を見て、はっとその理由に気付いたその人は。
ごしごしと袖口で涙を拭い、バツが悪そうににこりとそう告げて微笑む。



うっすらと赤くなったまぶたで。
噛み締めて荒れてしまった唇で。


それでも気丈に笑ってくれる。




………さっきまで赤の他人であった、私のために。




その気丈な笑顔に胸が締め付けられる。
おかげで崩れかけた思考が、すんでのところで持ち直す。




困ったような眉で、それでも一生懸命に微笑むその笑顔。




私は心の底から思ってしまう。




――――ああ、なんて優しそうな笑顔なんだろう、って。




“柊かがみさん”、か。



うん、綺麗な名前だ。
綺麗で凛としていて、響きも良い。


なんというか、この人にこれほどぴったりくる名前はないと思う。
ご両親のセンスに花束を進呈したい気分。





――――“かがみさん”。





綺麗で、凛としていて、強くて。
そして優しい。


そう、やっぱりそうなんだ。


優しい人なんだよね、この人ってやっぱり。





――――あれ、今。





なんか変なこと思わなかったか、私?



“そう、やっぱりそうなんだ”
“優しい人なんだよね、この人ってやっぱり”





――――やっぱり?





なんで、そう思ったんだろう。
綺麗だ、とか可愛い、とかは最初から感じてたけど、優しいと感じたのは今が初めてだ。





なのに、今、“やっぱり”って。





なんだろう。
胸の奥で何かが弾けたような不思議な感覚。



初めて聞いたその名前。
初めて感じたその感覚。



それが、なぜ。
ここまで心の琴線に触れるのだろうか。



それは私が思わず駆け寄ってしまったことにも繋がっているんだろうか。
ここまで何とかしてあげたくなってしまう事にも通じているんだろうか。





あの涙。

                          あの声。



          それは、きっと私のk




      おb      




                   


―――――んんっ!!




咳払いを強く一発。
ごちゃついた思考を一度真っ白にリセット。





そう、今は謎のノスタルジックな感傷に浸っている場合と状況じゃあないんだ。
定例の儀式で、思考を無理くり元の場所へ引っ張りだす。





「………上映場所と時間、どうなってます?」





唐突な私の問に、柊さんは慌ててチケットを確認して苦々しい顔と共にソレを私に手渡す。
なるほど、“□×市のシネコンで1時55分開場”か。



というとあと1時間ちょい。
距離はおおよそ30キロ。



渋滞だらけのこの道じゃ、タクシーを拾ってもぎりぎり間に合わない。




思わず奥歯をぎしりと噛み締める。
連絡手段も交通手段も、今完全に絶たれてしまった。




二文字の漢字が、私たちの脳裏をかすめていく






―――――そう、それは“絶望”だった。








 

はは……、と力なく笑う柊さんの悲しそうな声。



「…………ホント神様は、いっつも、いっつも、私に意地悪だっ」


「…………いっつもっ!」
「…………いっつもっ!!」



空を見上げて、柊さんがくやしそうに唇を噛み締める。
向い合って私も、同じように唇を噛み締めて俯く。



――――神様はいつも私に意地悪、か。



沸き起こる猛烈なシンパシー。


気持ちは解る。
痛いほど解る。


私も以前、勝負を賭けた上り坂で転倒しそうになった時、神様に祈った。
けれど神様は、せせら笑うように私を絶望の底へと突き落とした。



奈落の底に突き落とし、息の根を止めるならいざ知らず。
ぎりぎり立ち上がる余力を残して、私があがく様を楽しもうとすらした。



相棒の力がなければ、私はあそこで腐って終わっていただろう。



なんの因果か、今回もぎりぎりのタイミングときたもんだ。





―――――だが、今。





どうしても聞き逃せない、とてつもない一言が耳に残って離れない。






…………この人は今なんて言った?





“いっつも私に意地悪だ”って?






このレベルの意地悪を?
 






“いっつも”?







“いっつも”だって?
 






無性に腹が立ってきた。




意地悪な神様とやらの、腐りきった底意地の悪さに。
アタマの中が煮え立ってしまうほど憤ってしまう。




だって、そうでしょ?





毎回毎回、頑張ってる人ほど突きつけてまわってるんだよ。
せせら笑うようにして、このしょーもない試練を。


しかも頑張る人ほどパラノイアックにねちねちと。





そして今のこの状況。
腹立たしいにもほどがあるよ。





だって、今気付いちゃったんだもん。






―――――どうにもならないようで“ひとつだけ解決方法がある”ってことに。





今回もまたそうなのね、神様。
どうにもならないようで、“たった一つだけどうにかなるぎりぎりの答え”が用意されているって言うのね。



ハラワタが煮えくり返りそうになる。



あがく私たちは、そんなに見てて楽しいか。
そこまで癖になるような、蜜の味でもするっていうのか。



しかもこれは柊さんにぶつける意地悪にしては、あまりに酷すぎるよ。
だって、それは柊さんがどれだけ思い悩んでも到達する事の出来ない答え。




それを委ねられているのはそう。





――――――他でもない、“この私”なんだから。





神様はいつも私に意地悪、か。
ぎり、と歯を食いしばる。




……違いますよ、柊さん。




これ、あなたに対する意地悪だけじゃない。
私に対する意地悪でもあるんですよ。




だって私がそれをやり遂げるには、二つの高いハードルをクリアしなきゃならないんだもん。



    きもち
私の“恋心”がこぼれないように必死に蓋をして尚、超えられるかどうかの。
高い高い“二つのハードル”を飛び越えなきゃならないんだもん。







息を吸い込んで止める。



必要なのは決意。
揺るがない決意。

他に余分はいらない。


ぎゅっと眼を強く閉じて、かちり、と頭のチャンネルを変える。
ばちん、と脳みその奥で落ちる撃鉄。



――――よし、覚悟は決まった。



ふんす、と鼻から息を吐き出す。




やってやろうじゃないの、意地悪な神様。
いつまでもそうやって、人を嘲り笑っていられると思わないでよね。




私は一度、あなたの意地悪を完膚なきまでに叩きのめしてるんだから。



今度だってぐうの根も出ないほど、叩きのめしてやる。



覚悟を決めた女子高生の度胸、なめんなっ!






私は柊さんの目を真剣に見つめる。
クリアしなくちゃいけない最大のハードルは彼女。



「柊さん」

「―――ん?」



彼女の信頼を勝ち取らなければ、何も始まらない。
最大にして最強の難題。


でも、覚悟は決めてる。
どんなタイトロープダンシングだろうと、ひるむことなくやり遂げてみせる。


まず最初に、“それ”を超えてやる。



「私は聖フィオリナ学園2年3組、永森やまとです」

「……え、それさっきも聞いたわよ?」



口下手な私に変化球は似合わない。


全て直球ド真ん中で勝負する。
当然握りはフォーシームだ。



「私を信じてくれますか?」

「え、な、なに?」



言葉が圧倒的に足りてないのは自分でも理解している。



それでもいいんだ。
私が欲しいのは信頼だ。



それは言葉を重ねれば重ねるほど価値を失う。
愚直なまでの想いで勝ち取らなければ意味がない。



そして、私は“知っている”。
この人は愚直な想いに信頼で返してくれる事を記憶のどこかで“知っている”



根拠なんかない。
そう思うだけだ。



だけど、この薄情な私が。
根拠無くここまで突き動かされている事実がその自信を揺るぎないものにしてくれる。



信じる。
そう愚直に、ただ愚直に信じる。



私を。
そして彼女を。




「………“かがみさん”」




私は手のひらを“かがみさん”に差し出す。
じ、っと彼女の瞳をまっすぐに見据えたまま。




「そ の チ ケ ッ ト、 私 に 預 け て く だ さ い」


「私 な ら、 間 に 合 い ま す」




言葉を紡ぐ。
思ったままの言葉をただ飾ることもなく。



「他の誰でも、どんな手段でも無理かも知れませんが」
「私なら、間に合います」



決意は胸に。
想いは瞳に。



「どんな渋滞でも、自転車なら関係ありません」
「平均速度33キロで1時間、私にならできます」



揺ぎ無く見つめて。
差し出した手はひるむことなく彼女へと。




「だから………」




満面の笑みで告げる。
これはそう、私たちの“宣戦布告”。









「二人で意地悪な神様を、完膚なきまでに叩きのめしてやりませんか?」









「なんで、そこまで?してくれる、のよ?」



おろおろと視線が左右に泳ぐかがみさん。



―――駄目だった?
―――私の想いは伝わらなかった?



一瞬よぎる弱気を蹴っ飛ばす。
今は“弱気”は邪魔なの。空気呼んで引っ込んでて。



差し出した手は、揺るがない。
見つめる瞳だって逸らさない。


息を吸い込んで、飾らない言葉を淡々と紡ぐ。



「………わかりません」



それは本音。
だって本当にわからないんだもん。



でも一つ確かに言えることがあるんだ。




「でも、“わからない”のと“理由がない”のはイコールじゃないと思うんです」




じっと私の瞳を見つめるかがみさん。
とても真剣な表情。



うん、間違いない。
やっぱり私はこの顔を“知ってる”。



だからこうして、自信をもって自分の言葉を告げることが出来る。



こんなふうに簡単に。




「例えば、の話、しますね」



「例えば今、チケットを持ってるのが私で、声を掛けたのがかがみさんだとしたら」
「かがみさんは、今の私と同じことしてるんじゃないですか?」





――――――――っ





息を飲む音。
彼女の瞳に力が戻ってくる。




「それが私の理由です」
「どうしてかなんて、わからなくてもいいんです」



「ただ、何とかしてあげたいという想いが溢れそうで」
「そして、私には何とかすることができる条件が揃ってた」




「理由はそれで充分なんです」




伝える。
一言ずつ、私の想いを言葉に乗せて。





「問題はどうしてそうするのかじゃなくて」

「どうしても力になりたいという単純な気持ちが何よりも大きいから」





「…………ただそれだけです」





それは、他の誰かだったら『何言ってんのこの人w』と嘲笑われて終わってしまうかも知れない言葉。
いや多分、そっちの方が多いと思う。



事実私が他人に言われたらそう言ってしまうに違いない。






「…………私、勘違いしてた」






かがみさんが、苦笑する。
憑き物が落ちたような笑顔で。




「せっかくあそこまで言って貰ったのに」




でもこの人は違う。
そう、違うんだ。




「こんなことを会ったばかりの永森さんに頼むなんて、不躾すぎるって」
「そんなふうに思って、躊躇してた」




意思の強そうな瞳。
見る人まで元気にしてしまうような、その力強い眼の輝き。



ああ、そうだ。
これが、“あの時”の眩しいくらい凛としたかがみさんだ。




「すごく勇気が必要だったわよね、その言葉を口にするのってさ」



「会ったばかりの私に、毅然と」
「真剣に、そんなふうに」



「それなのに躊躇するなんて、すごく失礼なことだった」
「そんな当たり前のことに今気付いたわ」





「だって、あなたの差し出したその手は」





「一度も」





「一度足りとも揺るがなかった」





「私にまっすぐ差し出したまま」





「一度足りとも揺るがなかったもの!」




私の眼を射抜く、その瞳。
眩しいくらいの、その瞳。




愚直なまでの私の想いが。
彼女の心をこじあけて届いた。




千の言葉で飾り立てたとしても、決して得ることの出来ない信頼。
それが今、こうして目の前に。




そう、それは光さえ伴って。




大丈夫、もうひるまない。
今はもう、その眩しさが。




その信頼が心から嬉しい。





「………今度は私の番ね」





差し出した私の手のひらを、かがみさんの右手がふわりと包む。
凛とした笑顔で、私の手の中にチケットを託す。



私の想いを受けて。
託された彼女の想い。



尊い、尊い“この想い”。



届けてみせる。
必ず。



こくん、と私はうなづく。
同じようにかがみさんがうなづく。



“先約”を知った時、一瞬感じた惨めな嫉妬はもう影も形もない。



「お願い、永森さん!私に力を貸して!」
「これを届けて、シンの元へ!」



「私に力を貸して欲しいの!」



こくん、と力強くうなづき返す。



交差する視線。
今、私たちの想いが繋がった。



もう、大丈夫。
だって、私たちは“知っている”。



想いが繋がった私たちは“いつだって無敵”だったハズなんだ。









   「頼んだわ、やまと………っ!!」     「………任せてください、かがみさんっ!!」







想いは直球で伝えた。
答えは弾丸ライナーで返ってきた。


なら、もう残りのハードルなんか些細なコトだ。
 
                   ハラ  くく

もうとっくに肚は括ってるんだ。


間に合わせる。
何が何でも。


ここに今、KG171はない。
でも、この子がいる。




けれど、このままじゃダメだ。
時間はあまりないけれど。





アルミフレームの硬さに根をあげた昔の私が、耳聞こえの良い欺瞞で創り上げた今のこの子。




当時の貧弱な私の脚力じゃフレームを使いきることもできず、ただ無様にあえぐだけだった。
突き上げるロードノイズに体力を奪われ、あっという間にスタミナを使い尽くして絶望してしまった。



初めてのロードフレーム。
初めてのトラウマ。



そしてこの子を私の欺瞞で飾り立てた。
ゴテゴテと不必要なモノをまとわりつかせて飾り立てた。




今、その牙を研ぎ直す。
この子の牙を、私という砥石で研ぎ直すんだ。





これが残りのもう一つのハードル。



でも、大丈夫。



何度も言うつもりはない。
これが、最後だ。




“もうとっくに肚は括ってる”んだ。




きっ、と時計を睨む。
時間はあまり掛けられない。


大丈夫、5分で済ます。
すぅ、と息を吸い込む。






―――――行くぞッ!!






トートバッグからホールレンチを掴んで引っこ抜く!


そのまま流れるように、シートチューブ先端のヘックスビスを緩める!
くい、っとシートを7ミリ引き出す!


シートピラーに止められた金具を止める二ヶ所のビスをホール部分で回す!


ビスが外れ、金具が落ちる!
かちゃり、と荷台が外れる!


この子の足かせを、今ここで解き放つ!!


そしてハンドルに装着されてる2対の金具のボルトを緩める!
ぐるん、と二本の槍を前方に90度回転させて、予備ハンドルの“ダウンヒルバー”を展開し、ボルトで正位置に固定する!


あるべきその姿へと今、淀みなく!
偽装を引き剥がして尚、揺ぎなく!


ペダルレンチをバッグから引っこ抜きクリップペダルを外し、予備のビンディングペダルLOOKのKEOクラシックをねじ込む!


もう私の欺瞞に付き合うことはない!
思う存分、本来のキミを剥き出しにして猛り狂ってくれていい!!


ステムの台座にワイヤレスサイクルコンピューターを装着!
中ボタンを爪で長押ししてセレクトモードに移行し、MACHINE-0を選択!


私は、前より強くなってる!
体も心も、そのどっちもだ!!


ダウンチューブにボトルホルダーをビス止めし、ペットボトルの水をドリンクボトルに入れ替え装着!


だから、受け止めてあげるよッ!
キミをキミの望むままにッ!!


バッグからレーサーシューズを引っ張り出して履き替える!


キミがキミであるように………ッ!
私が全力で、走らせてあげるから………ッ!!




……………………ッ!




―――――万感の想いで、フレームにふわりと指を添える。




きん、と冷たくわななくキミはとても嬉しそうで。
それはとても頼もしくて。




―――――長い間待たせてごめんね。




数年に及ぶ欺瞞。
今、全て解き放った。



ここにいるのは、私の欺瞞を押し付けた過去のキミじゃない。



利便性など微塵もない。
快適性など一切考慮しない。



凶悪なほどの暴れ馬。
それが本当のキミ。




それこそが、キミのあるべき姿だったんだよね。




うん、わかってる。
今は感傷に浸ってる時じゃあない。




全ての作業は今、滞り無く完了したんだから。
これはゴールなんかじゃない。





―――――これは、私たちの純然たるスタートだ。





き、っと時計を睨む。
この間おおよそ4分30秒。



よし、いいぞ。
最高に気持ちの良いタイムだ。



思わずにやりと笑みがこぼれ落ちる。






………ねぇ、意地悪な神様。






今後ふっかけてくるつもりのしょーもない試練のために、一つ覚えておいてよね。
決して乗ることだけが、自転車乗りのすべてなんかじゃない。





私たちはメカニックも兼ねてこそ、一流なんだッ!!





それをよーく“記憶”に刻んどけッ!!!








「なんかすごいわね、見惚れちゃったわよ」



呆然と作業を眺めてたかがみさんが、思い出したように息をすると共につぶやく。
思わず私は苦笑してしまう。



「こんなので、見惚れないでくださいよw」
「いやいや、なんつーか今、目の前で奇跡を見た気がするわw」



おどけるかがみさんの口元にえくぼが浮かぶ。
よし、大丈夫。あらゆる意味で今、条件は整っている。



「こんなのは奇跡なんかじゃないですw」



外したパーツやその他身の周りのものが入ったトートバッグをかがみさんに手渡す。
こくりとうなづいて、彼女はそれを両手で受け取る。



「ここで、こうだったらきっとこんなふうに言いますね」
「ここで、こなただったらきっとこんなふうに言うわね」



唐突な言葉のユニゾンに、二人してきょとんと眼を合わせて、くすくすと笑う。
目で合図をしあって、いち、に、のせーの、で言葉を重ねる。




「奇跡はこれからだっ!」   「奇跡はこれからだっ!」




思った通りのハーモニーに思わず声に出して笑いあう。



重なる笑い声。
つながる想い。



よし、気力は充分。
ばっちこい、だ



私は慣れた足つきで、かちん、とペダルにクリートをねじ込む。



「行きで燃え尽きますから、帰りは倍の時間が掛かると思います。待っててくれますか?」
「もちろん。やまとを信じて待ってるわ」



届けよう、この想い。



私になら出来る。
私にしか出来ない。



この何よりも尊い、“はじめてのおつかい”を。
必ず成し遂げてみせる。




「あ、やまと!携帯の番号交換しなくちゃ、あとで連絡取れないわよね!?」
「落ち着いてください。かがみさん、携帯忘れて来てますからw」




凛として、優しくて、綺麗で、そして朗らかなかがみさん。
私はあるがままの私で、あなたに並び立ちたい。




「あはは、そーだったw」




最高の試練だね、これは。
ホントそう思う。



過去の欺瞞。
偽装したマシン。

それに今、立ち向かう。



現在の欺瞞。
偽装した私の恋心。

それに今、立ち向かう。




誰よりも手強い、“最強の恋敵”の想いを届けることで立ち向かう。




「…………いってきます!」
「…………気をつけて!」





――――上等だよ、神様。





あなたが戯れで私に与え給うたこの試練は、今朝の下らない映画の何万倍も面白い。



胸を張って、その全てに立ち向かってやるから。
刮目して見てなさいっての。




あくびなんてしようものなら、その舌、引っこ抜いてやるんだから。








 

よし、気持ちも体も準備は全て整った。
あとはもう、やるだけだ。




――――――さぁ行こう、“私の原点”。




昔の私はキミを乗りこなしてはあげられなかったけれど。
今の私はキミを無理くりにでも乗りこなしてみせるから。


大丈夫、今の私は前の私じゃない。


体も強くなった。
心も強くなった。




そして、何よりも重くて大きい。
大事な想いを背負ってる。




届ける。
何が何でも届ける。


この想いを。


かがみさんの想いを。
私の想いを。


アスカ君に。




絶対届けてみせる。




全て。
想いを全て。




大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。




頭の中は自信にあふれたそのセリフしか浮かんでこない。
いける。今の私なら、絶対大丈夫。




神様とやらが今の私の心情まで計算していたかどうかは知らないが、もうそんなのは知ったこっちゃない。





―――――そういうのもまとめて、俺が!
―――――なぎ払ってやる!!




アスカ君なら、きっとこう言うのだろう。
でも私はちょっと違うんだ。



私は自転車乗り。
なぎ払う必要なんか、ない。


私が通れる空間をこじ開けられればそれで充分。
それが私の戦い方。




それこそがアスカ君やかがみさんと並び立つ、私だけの戦い方。



そう、私は、“刺し穿つ"。
目の前にそびえる障害を、この両脚で“刺し穿つ"。




―――――ぞくり。




そこで気付いてしまった神懸り的な偶然に鳥肌が立つ。



それは、その決意は。
こうがこの子につけたあの名前に、不思議と一致する。



口の端がにやぁ、と吊り上がって行く。




もう照れはない。




私は今なら。
この子をあの名で呼んであげることが出来る。





―――――――すぅ






大きく息を吸う。







「さぁ、行こうッ!!」



















               ディープ・ストライカーッ!
「―――――深 淵 を 刺 し 穿 つ 者 ッ!」











 



永森劇場APPEND エピソード1.0
深淵を刺し穿つ者:DEEP STRIKER

to be continued Episode1.2



                               


                         

project TEAM FLYDAY 
Sinse            07/25/2006
Last Update    08/15/2011