●今回のおしながき

■登場人物:ゆたか × シン(やさぐれ時)
■話の長さ:14レス強(おおよそ30分〜1時間弱)
■内容成分:シリアス4・恋愛3・にやにや2・笑い1
■重要事項:カルピスに性的要素はありませんw










見通しのよい住宅街の通学路。


目の荒いコンクリートで舗装されたやや広めの歩道を。
わたしはひとりぽっちで、てくてくと歩く。

光沢のある白い塗装で塗られた鉄製の円柱フレーム。
それらを組み合わせて作られたガードレールに左手の指を沿わせながら。

わたしはひとりぽっちで、てくてくと歩いていく。



――――――――――――ふわり



ふいに遠くの街路樹がふわりと揺れて。



     ―――――ふわり


   ―――――ふわり

 
 ―――――ふわり



その枝葉の揺れが徐々に徐々にと近づいてきて。



ふわっ



わたしの周辺の木々が優しく揺れる。
そのシークエンスは、さながらスタジアムの観客席で起こるウェーブのよう。


秋めいた香りを錯覚させるような、涼しげな一陣の風。
それが木々とともに、2つに結わえたわたしの髪を宙に舞わせて吹き抜けていく。


もう8月になったはずなのに、毎日のように続く夏らしくない涼しげな日々。
その風は心地良く、ただ心地良く。


まるでお友達とばいばいした後の、なんとも言えないもの哀しさを紛らすように。


秋めいたそよ風がわたしの肌をなでるたびに。
歩き慣れた泉家へと向かう、わたしの足取りを軽くする。


お姉ちゃん、今日寝不足気味だったけどだいじょうぶだったかな?
おじさん、昨日煮詰まってみたいたけど今日は筆進んだかな?


そしてシンさん。


………今日は、シンさんの機嫌が良いと嬉しいな。


すぅ、と。
ガードレールから指が離れる。



ぴたり、と歩みが止まる。

 

ふわり、とそよ風が頬を撫でる。
わたしは、ふふ、と苦笑して再び歩き出す。


歩きなれたこの道を。


軽やかに。
たおやかに。






 

 

 Knockin'on your mind:Gotta knock a little harder.

 

 





「ただいまー・・・」


喉からの息だけを使った小さな声での挨拶。
わたしのただいまの挨拶のトレンドはこのスタイルが定着した。

 

それは慣れ?

……それとも遠慮?

 

ホントのところはね、わたしにも良くわかっていない。
最初っからこんな感じだった気もするし、そうでもない気もする。

んーと、ほら、わたしって、あんまり記憶力いい方じゃないから。

 

「ん、しょ……っと、わわっ」

 

玄関でローファーを脱ぎ捨てようとして、崩れるバランス。


身体を支えようと振り出した右足が靴を飛ばし、そのままそれを玄関のすみへと滑らせていく。
その様は、まるでカーリングの石のよう。


「あちゃ……」


靴を履いたままの左足だけで踏ん張って、右手を目いっぱい伸ばして、逃走したそれを確保。
続けて脱いだ左足の相方と踵を揃えた状態で玄関の一番端に鎮座。

 

「むー。どんくさいなぁ、わたし」

 

『ワタシの国にありふれたコメディも、ユタカがスルとトタンに萌えと化すのデス、マーベラス!』

 

とある友人にいつも言われる言葉が鮮明に脳内再生されてしまう。


うぅ……。

恥ずかしい……。
恥ずかしいよぅ……。

 


「ただいまー……」

 

しぃんと静まり返ったこの家は、まるで防音室みたいにわたしの声を吸収し、かき消していく。
耳の奥に、きぃんと沈黙が突き刺さる。


………誰もいないのかな。


がちゃり、とドアを開けてリビングへ。
閉じたカーテンに薄暗い室内。

最高気温24度の涼しさもあって、蒸し暑さはそれほど感じない。
閉め切られた部屋が外界の騒音を遮断して、静かな隔離された世界観を感じてしまう。

 

「あは、やっぱり誰もいないや」

 

お姉ちゃん、今日バイトだったっけ?
おじさん、打ち合わせって言ってたっけ?
それと、シンさんは?


リビングのホワイトボードには2週間前の予定が書きこんであるだけ。
買った最初の頃は面白がって使っていたこの連絡掲示板は、今はもうただのオブジェ。

 

……のど乾いたな。

 

何か飲むものあったっけ?
記憶の引き出しから、冷蔵庫の中身をイメージして手繰っていく。


ち、ち、ち、ぴーん!


あ、そう言えばお中元で貰ったカルピスを昨日みんなで開けたっけ!
あれ、まだ残ってるよね?
そだ、カルピス作ろっとっ。


コップに氷、原液に水。
手際よく、台所作業をこなすわたし。

えへへ、なんかかっこいいかも。



―――――びしゃ。



……いけないっ、ちょっと水こぼしたっw




はぁ、調子にのるとすぐこれだ。
もう、我ながらやになっちゃうな。

机、ふきふき。
うん、おっけ。


晴れて証拠は隠滅っw!

 

「いただきますっ」


……うん、冷たくって美味しい。
体を中から冷やしていくこの感じ、すごく好き。

わたしは大の温かいもの党なんだけど、
時に冷たいものが無性に恋しくなる時があるんだよね。

涼しいとは言え、やっぱり夏は夏だもん。
冷たい飲み物は外せない。


でね。
こうやって、冷たいものを流し込んでね。
胸の奥に掛かったもやもやを、きん、と冷やして流しこんでしまえれば。


それはどんなに楽で簡単なんだろ、って思ったり、思わなかったり。

 




時計を見れば、夕方の5時。
なにかを始めるには遅いし、なにもしないには早い気がする。


むー、てもちぶさただなぁ。
氷をかりかりと口の中で弄びながら、わたしは自分の趣味のバーサタイル性を嘆く。

こういう時、例えばそう、こなたお姉ちゃんだったら。
ちょうど良い時間潰しを発見しては、それに夢中になって時間を忘れて熱中しちゃうんだろうなぁ。


あは、いいなぁ。
わたしも、なんかそういうの見つけないと。
あ、でも時間を忘れちゃだめかw


まぁ、そういうのはさておき。


「とりあえず、テレビでも見よっかなw」


そうそう、手軽にテレビでいいのですっ。
これはこれで充分に楽しいしっ。


ちなみに新聞のテレビ欄は無視。


どうせこの時間は、どんなに暇でも行きそうもないような
世の中的にはブームとなっているらしい、微妙な食べ物売ってるお店しか紹介しかやってないし。

それかわたしの恋愛観とはかけ離れた外国の恋愛ドラマしかやってないし。

ここは当然、スカパー一択。
確かアニマルプラネッツでフクロモモンガさん特集の再放送があったはず。

うん、あれは良かった。
可愛い上に一生懸命。
フクロモモンガさんはすごい。

わたし、生まれ変わったら絶対フクロモモンガさんになるんだ。
そしてお母さんの袋のなかで、もふもふお昼寝して一日過ごすんだ。

って、なんかそれ、違うw
前向きじゃないw
全然一生懸命じゃないw

苦笑して、わたしはソファにあるであろうテレビのリモコンを探って。


指に、くしゃりと誰かの髪が触れ。


「ふぇっ!」


おもわず飛び退いた。


………って、うわびっくりした。
………誰かソファに寝てた、んだ。


全然気がつかなかった。


や、わたしに人の気配を探る能力なんか備わってはいないけど。
それにしたってソファと一体化しすぎですってば。


――――――。


漆みたいな黒髪に、色白の肌。
細いながらも引き締まった手足。

呼吸するたびに上下する、鍛えられた硬そうなスリムなお腹。


――――シンさん。


シンさんが、目の前で寝てる。

無防備に少し口を開けて。
かすかな寝息を立てて。


――――どきり、と心臓の音。


ソファの肘掛けに投げ出した、裸足の足のうら。
引き締まった足首に際立った、とがったくるぶし。


………部屋着の白いVネックTシャツから覗く鎖骨のくぼみ。


………のどぼとけ。

 

額に掛かった、少しクセのある前髪。

 


             あどけない、少年のような寝顔。


 

    いつもからは想像もつかない、その表情

 

 

なんとなく上気した体に、こくりとカルピスを流し込み、ふぅっと息をつく。

 

いつものシンさんからは、想像もつかないおだやかな寝顔。
むすっとした眉は、今は無防備に下がっていて。


いつもの、恐い、感じじゃ、全然、なくっ、て。
それはすごく、すごく、おだやかで。

 

わたしは、それがすごく、すごく。

 


なぜだか、わからない、けれど。

 

 

…………っ。

 

 

それが、すごく。

 


悲しくて。

   
    さみしくて。

 


 

 

 

――――言葉を失っていた。

 

 

 


 

「…………………誰?」

 

唐突に、吐息だけの声。
眉間に皺を寄せ、左目だけでわたしを見据えシンさんがそう呟いたのだと気づくまで一瞬間が開いてしまった。

心地良い眠りを妨げられた不快感、とも何か違う警戒心をあらわにしたその声。
外に向けられた威嚇ではなく、内面にくすぶったいらだちを表したような、そんな声。


「ごっ、ごめんなさい、ゆたかですっ!」


起こしてしまった罪悪感、不機嫌なシンさんに対する恐怖感。
そんな色々な感情がぐちゃぐちゃのシチューみたいになって心の中に広がっていく。


「…………………何?」


不躾なわたしの視線を敏感に感じ取り、シンさんが薄目を開け睨む。

さっきまでとはうって変わって吊り上がった眉。
切れ長の鋭い紅い眼。

不機嫌そうな口元。

 

「……やっ、別に、なんでも、ないですっ」


目を逸らしながら、そうこぼすのが精一杯。


口数が少なく、不機嫌そうな表情。
何かに憤ったような、敵意にあふれるまなざし。

笑顔はいまだに見せてくれたことがない。

 

「ほ、ほんとになんでもないんです、ただ、部屋閉めきって暑くないかな、って」



それが。
それこそが。

わたしの知っている“シン・アスカ”という人物像。

 

「……………………ふぅん」

 

興味なさそうにひとことだけ感想を漏らすと、シンさんは気だるそうに起き上がり、
Tシャツの裾に右手を突っ込み、左肩の付け根あたりを掻く。

割れた腹筋がちらりと視界に入り、思わず目が釘付けになってしまう。

わ、2、4、6……6つに割れてるっ!
す……すごいっ、男の人のお腹ってみんなこうなのかなっ?

 

「……………………だから、何?」

 

迷惑そうな声と共に、紅い両目がまっすぐにわたしを射抜く。
思わず背筋がぴーんとなって、なんでもないですぅっ、と上ずった声を上げてしまう。

 

「…………ふぅん。………ま、別にいいけど」

 

そう言って、そっぽを向いて手で髪を梳く。

別に怒ってる訳じゃないっていうのは、わかってる。
シンさんは誰に対してもこんな感じだし、現にお姉ちゃんやかがみさんとは、
口喧嘩しながらもコミュニケーションを取れているんだし。


単にわたしが怖がりなだけなのは、わかってる。
……わかってはいるんだけど。

 

 

ふぇぇ、やっぱり恐いよぅ……w

 



シンさんが面倒くさそうに右手を伸ばし、テーブルの上にあったグラスに手を伸ばす。
中身は何もなくすっからかんで、水気を失い完全に乾いてしまったグラスを見て眉間に皺を刻む。


「…………ち」


小さな舌打ち。
そうして、数秒考えたシンさんは。


「………今のは、べつにお前に対してした舌打ちじゃないから」


そう小さな小さな声で呟いた。

大丈夫、ちゃんとわかってますから。
そう言おうとして、わたしも数秒考えて。


「………はいっ」


と笑顔で答えるだけにしておいた。

シンさんはそれ以上特に何も言葉を続けたりはしなかったけど、
不機嫌そうな感じが和らいだから、たぶんこれで良かったのかな、なんて思ったり思わなかったり。


あ、そう言えば、グラス空だったんだっけ。
のど乾いてるのかな。


乾いてるよね、寝起きだもん。


………カルピス、飲むかな。
聞いたら怒られちゃうかな。


でも、大丈夫な気がするんだ。
よく思い出してみると、シンさんはいつも不機嫌そうだけど、いつだって怒ってたわけじゃないもの。


わたしが怖がりなように、シンさんはこういう感じの人というだけなのかも知れないし。



――――よしっ、意を決して聞いてみようっ。

 

 

「あのっ!」

 

 

「カルピちゅ……っ!」

 

 


ふ ぇ っ 噛 ん だ っ !

 


大 事 な と こ ろ で 噛 ん だ っ !!

 

 

「…………………」

 

無言でわたしを射抜く紅い両眼。
ああ、笑われる?それとも気分を悪くする?

そんなぐるぐるとパニック状態寸前のわたしにシンさんは、

 

「………………なにw?」

 

と、一言だけ発して、先の言葉をうながした。

あ、笑った。
今かすかだけど、シンさんが笑った。

馬鹿にされたわけではなく、ただ楽しそうに。
今、初めてシンさんが笑った。

 





――――笑った。


 

シンさんが、笑った。


やだ、どうしよう。


……嬉しい。

 

こんな。

 

ただ、笑ってくれただけなのに。

 


こんなにも。


………………嬉しいよ。


 


――――――すぅ、はぁ。

 


小さく深呼吸。
大丈夫、こんどはきっと大丈夫。

 

「カルピス、作ったんですけど……」

「………良かったら、飲みませんか?」

 

……ほら、言えた。

 

ほっと胸を撫で下ろし、笑顔の向けてシンさんの様子をうかがう。
シンさんは上を見上げるようにして、数秒考えた後。

 

「………ああ、飲む」

 

そう言って手のひらをわたしに向ける。
わたしは、“ああ、女の人みたいな長い指だなぁ”なんて思いながら、グラスをシンさんに手渡す。


―――――サンキュ、な。


聞き取れないくらいの小声でそう言ってシンさんはグラスを受け取り、カルピスを喉に流し込む。
からんころん、とカルピスの中で踊りぶつかって鳴り響く氷。


ごくごくと嚥下するのどぼとけに、なぜだかどきりとしてしまう。


馬鹿みたい、わたし。
のどぼとけくらいで、中学生の女の子じゃあるまいし。

落ち着け、わたし。
ここは大人な自分を演出するところなんだから。

 

「……………ん、あ」

 

勢い良く飲み過ぎたのだろうか。
シンさんの口の端から、流し込み切れなかったものがこぼれて落ちる。

ぱたぱた、と音を立ててクッションに染みが広がる。



「……………いけね」

 

手の甲で口元をこすったシンさんは、そのままTシャツの裾でソファのクッションを拭こうとする。

 

「あ、シンさん」

 

わたしは、テーブルの上のふきんを掴み、クッションにそれを伸ばす。
シンさんが完全にわたしから視線を切っている状態の、上方から顔を横切って。

 

それは、あまりにも“不用意な行為”だった。

 


「………………………………ッッ!!!!」

 

―――――――――――――ばしん!
              ひゅっ―――――――――――――ぴしゃ!

                  

 

 


わたしの手が横薙ぎに払われ、ふきんが壁に叩きつけられる。
手の甲に時間差で訪れる、痛みと、………熱。

 


「……………っ!」

 


言葉は一瞬で息の根を止められた。
比喩やメタファーなんかじゃなくて、ホントに心臓が止まるかと思った。

 

紅い瞳がわたしを捉える。
迷惑そうな、その両目。


―――迷惑そう?


そうじゃなくて、もっと何かちがうその表情。


これは、困惑?
それとも、焦躁?


違う。
どっちも違うよ。


だって。


だってだってシンさんは今。

 


―――――――泣きそうな顔してるものっ。

 


わからないっ。
   わからないよっ。

 

わたしじゃ全然わかってあげられないよっ。
こんなの、くやしいよっ。


 

……………いや、そうじゃない。

そんなことを考えてる場合じゃなかった。
なにより今は、謝らなくちゃ。

 

「………ごめんなさい」

 

小さな声でそう謝るわたしに。
シンさんは何かを言おうと、何度か息を吸って口を動かしては止め、首を振ることを繰り返して。

 

「………………………いや、俺の方こそすまない」

 


結局、そう言葉を残すだけだった。

 





そのまま言葉が紡ぎ出せない沈黙に耐えかねたのか、シンさんが無言で自室に戻ってから数時間。
頭がぐちゃぐちゃのわたしは、一人リビングで垂れ流しにされるテレビ番組をただ目で追う。

 

―――イチロー3安打2盗塁の大活躍!なお試合は6−1でマリナーズが敗れました。

 

内容は頭に入ってこない。
食べたはずの夕飯のこともよく思い出せない。
ただとりとめのない考えごとを、ずーっと繰り返すだけ。



―――――――――………。



わたしは、攻撃的な人が嫌いだった。
その暴力的な考え方が、どうしても好きになれないから。


嫌いというより、攻撃的な人は“恐い”。
別に何かされた訳ではなくても、その場にいるだけで、ただただ恐い。



でも、シンさんは。


シンさんは、恐いのとは違う気がする。


わたしが嫌いな攻撃的な人、とは何かが違うんだ。
そりゃあ恐いと思うこともあるけれど、それはわたしの嫌いな攻撃的な人とは何かが違うんだ。

でも、その“何か”が“何なのか”、わからない。
その根幹の部分、明確な答えを、どれだけ脳みそをフル回転させても捻りだせない。

つのる違和感。
それがじくじくと大きくなっていく。

そして自重に耐え切れなくなった違和感が、胸の中でごろりと転がる。


それは大きい上に収まりも悪いらしく、転がったあとも不安定にぐらぐらと揺れ続け
胸を突き破って脳天へと駆け上り、わたしの頭をより一層ぐちゃぐちゃにする。


恐いとは違う何か。
胸の中の、この違和感。


もっともっと違う何かだ
この違和感はなんだろう。


収まりが悪くって、吐き気がする。


わからない。
……どんなに考えてもわからない。


なんでだろう。
無性に、無性にくやしいよ。


わたしって、こんなに負けず嫌いな性格だったっけ。


頭の中で繰り返す自問自答。
答えは出ないまま、時間だけがただ緩慢に過ぎていく。

 

―――変わった中郷が2点タイムリーを献上!千葉ロッテマリーンズは今日も好投の唐川を援護出来ませんでした!

 

相も変わらず、テレビの内容は右から左。

 

………そうして夜は、更けていく。

 


考えがまとまらない。
何ループ目の堂々巡りなんだろう。

たしか5回目くらいで数えるのをやめたんだったっけ。


――――ぎっ


ソファに深く座りなおす。


足をぶらぶらと交互に振りながら、テレビを目で追う。
内容は相変わらず、頭に入ってこないけれど。

 

 

――――とっ、とっ、とっ、とっ、とっ、とん

 

 


ふと、階段をリズミカルに降りる音に気付いて、思考が通常モードに切り替わる。

こんな時間に、誰かな?
足音のリズムから予想するに男のひとだと思うから、おじさんかシンさんか。

 

――――じゃー、こぽこぽ
――――きゅ

 

……………コップに水を汲んだ。

 

 

――――んっ、んっ、んぐっ

 

 

……………お水を嚥下する音。

 


「…………ぷは」

 


大きく空気を吸い込む、その息づかい。

 

――――あ、シンさん、だ。

 

のど乾いたのかな?
でも何で水道水なんだろ?

冷蔵庫の中にお茶とかポカリとか色々あったのに。

あ、でも今は全部のみかけのペットボトルしかなかったかも知れn

 


――――がちゃり

 


「…………っ!」ビクッ

 


油断しきった瞬間にいきなり開いたリビングのドア。
半分パニックになったわたしは、思わず目をきゅっと閉じる


そして、そのまま。

 

――――……………。

――――……………。

――――……………。

 


寝たふりに移行する。

 

……ってあれ?w

なんで寝たふり?w


別に普通に声を掛けて、おやすみなさいって言えばいいだけのような?w

ひょっとしてわたし、また選択肢ミスっちゃった?w

 

ま、いいやw

きっと電気が点いてるのに気がついて、確認しにドアを開けたんだろうから。
このまま寝たふりしてれば、シンさんも“なんだゆたかが寝てるだけか”って、自分の部屋に戻るよね。


なんて考えてたら、ぺたぺたとスリッパを鳴らす音が近づいてくる。
ああ、そか、シンさんがリビングに入ってきたのか。

 

―――――って、ふぇえぇえええええええっ!?

 

なんでなんでなんでなんでっ!??

 

なんでシンさんがリビングに入ってくるのっ!!??

 

わたししかいないのにっ!??

 


「………………」

 

わたしの前で無言で立つ(そこでスリッパの音が途切れた)シンさん。
ふ、ふぇぇぇ、なんか気まずいっ。

 

―――――ぴ

 

リモコンでテレビが消された。


途端に室内が静寂に包まれる。
聴こえるのはわたしとシンさんの吐息だけ。




「…………はぁ」

 


そして沈黙を切り裂く、重い溜息。

 


「体丈夫なワケでもないってのに、なんでこんなとこで無防備に寝てるんだよ……こいつは」

「馬鹿か俺………………………」
「………………俺のせい、だろ」

 


消え入るような吐息混じりの小声で、呟くシンさん。
目を閉じているせいで、表情は見えない。


でも見えないぶん、わかる。


すごく、すごく。


すごく、やさしい、声。

 


「…………仕方ない、か」

 

シンさんが、呟く。
目を閉じてようやく気付くような、そのやさしい声で。


って、ふぇ?
“仕方ない”って?

 

――――ぎっ

 

ソファが軋んだ。

目をつぶっていても、なにが起きたか容易に想像できてしまう。
シンさんがどちらかの手をソファに掛け、わたしの身体に身を寄せてきた音だ。

近づくシンさんの身体。


シャンプーのいいにおい。
前髪に感じる吐息。

 

「……………………(きゃあ)」

 


どきり、と心臓が跳ねる。
ぎゅっと目を閉じたいのを必死に我慢して、力を抜いた表情で一世一代の寝たふりを敢行する。

 

――――すっ

 

首の後ろに腕が回る

 


「………っ」

 

心臓が、跳ねる。
顔が、燃えそうなほど、熱い。

 

――――すっ

 

膝の後ろにも腕が回る。

 


心臓がはねr……ってあれ?w

 


……………膝?w

 

「よ…………っ、と」

 

小さな掛け声と共に宙に浮くわたしの身体。
そのままふわり、とゆっくりと身体を受け止められて。


抱きかかえられたまま。

 

ぺたぺたとスリッパの音を立てて、歩き出す。

 




―――――と、と、と、と



階段を登っていく。


男のひとに抱きかかえられて。
体温を肌に感じながら。


でもわたしは、お姫様だっこではなくて、前に抱られた状態なのが
少しがっかりって思ったり思わなかったり。


むむむ。
子供あつかい、なのかな。


でも良かった。
顔が見える状態だったら、きっと大変なことになってたと思うから。


―――――ぎゅ


恥ずかしさのあまり、おもわずシンさんのパジャマの生地をにぎりしめてしまう。


やっ、だめっ。
それ、起きてるって気づかれちゃうっ。


力を抜いて。
身体をシンさんにあずける。


―――――ふわっ


シンさんの胸元にうずまるわたしの口元。

パジャマの柔軟剤の香りが鼻腔をくすぐる。


ふぇ…、いいにおい。


わたしと同じ柔軟剤のはずなのに。
こんなにも、やさしいにおい。

やわらかくて、ふにゃあ、ってなる。


フクロモモンガさんは、きっとこんな感じで袋のなかで寝てるのかな。


でもわたしが今包まれているのは、お母さんではなく。

 

…………男のひとの腕の中。

 

ふぇぇっ、恥ずかしいっ。

恥ずかしいよぅっ。

 

心臓がばくばくなってるの、伝わっちゃわないかな……?

 

――――――ぎぃ

 

引き戸のドアが開いて、馴染み深いにおいが鼻腔をくすぐる。
目を閉じてても、においだけでわかれるものなんだなぁ。

そう、ここは間違いなくわたしの部屋だ。

 

「………たく、面倒かけやがって」

 

わたしをベッドに横たえて、大きな溜息とともに呟くシンさん。
なにかに身構えて(もしかしたら期待して///)いたわたしは、ふにゃふにゃと脱力してしまう。

 

面倒、か。


やっぱりそうだよ、ね。
うう、変な期待してごめんなさい。

すん、と鼻が鳴りそうになるのを必死にこらえていると。

 

「…………ごめん、な」

 

今までで、いちばんやさしいシンさんの声。

 

――――――すぃっ

 

ふわり、と。

 


指が額に触れる。

 

「……………っ」

 

――――――すっ

 

額に掛かった前髪を長い指で梳かれる。


優しい、優しい。

その指のうごき。

 

心地いい、あの風のように。
長くてきれいなあの指が、わたしの髪をなでる。


もう、全然怖くなんか、ない。
不器用だけど、やさしくて。


そのたどたどしさが、どうしようもなく愛おしくて。


優しい風に髪をなでられているような感覚がふわふわと心地よくて。

 

わたしの、心が、とろん、と、溶けて、いく。

 


「…………くそ、らしくない」

 


頭をがりがりとかく音とともに、ぼそりとこぼしたその声は。
我に返ったような、動揺を隠して強がってるような。


シンさんでも、こんなふうになるんだな。
なんて思うような、そんな声。

きっと今、シンさん、顔が赤くなってるような気がする。


もっともわたしはその比ではないんだけどね。

 

「……………くそ」

 

ごちりながら、ぺたぺたと足早に遠ざかるスリッパの音。


あ、シンさん、いづらくなったんだw
ふふ、かわいいw

 

――――ぎっ、かちゃ

 

――――ぱた、…………ん………かちゃり

 

閉じる前に一度戸の動きを止めて、ドアノブを捻ったまま
出来る限り音を立てないようにして、静かにドアは閉められた。

 

ありがとうございます、シンさん。
わたしの身体のこといたわってくれて、うれしかったです。

 

…………おやすみなさい。

 

心のなかでそう呟く。

なんだか気恥ずかしくて、シンさんみたいなやさしい感じには出来なかったけれど。

 

 



 

耳に刺さる沈黙の中でわたしは思う。



なんとなく、わかったような気がする。
ずっと考えてた、恐いのとは違う“何か”。



………それはきっと、“不器用”。



優しさを伝えることが、ただすごく苦手なだけ。
それが今ようやく気付けた“シン・アスカ”という本当の人物像。

 

「………これが、答えなのかな」

 

吐息まじりの小声で呟く。


あれだけ考えてわからなかった数々の難問の正解の背中が、ちらりと垣間見えたような。
わたしは、そう思ったり思わなかったり。



ちっ、ちっ、ちっ、ちっ、と秒を刻む時計の音だけが部屋に響く。



正直言って、自信はない。
でもひとつの疑問に対する、明確な回答であるのは間違いない。


だって、複雑に絡みあった疑問がひとつ解けたから。
次の疑問も、なんとなく答えが見えてくるんだもの。
 


あのおだやかに眠るシンさんの顔を見た時のわたし。
あの時の驚くほどの感情の昂りの原因。

それは、とても単純な答え。
つまり、それは嫉妬。


今まで、わたしの前ではその表情を見せてくれなかったことを。

わたしは、それをさみしいと思った。
単純に、そのことがとても悲しかった。


たぶんこれも、正解。


わたしは、シンさんの穏やかな表情を初めて見て。
拗ねてしまっていたんだ。


むむ、ちょっと恥ずかしい。
でも、大事なのはここから。


そう、わたしは。

わたしは今、“その先”を望んでいる。


ただ悲しむだけの自分で終わるのではなく。
その先へ、“もう一歩その先へ”と。

シンさんがあんなふうに無防備に眠れるような。
灯台のような存在でありたいと、心から望んでいる。


なんておこがましい。
だって、わたしだよ?


お姉ちゃんみたいに、夢中になる何かがあるわけじゃないし。
かがみさんみたいに、並び立つような何かがあるわけでもないし。
おじさんみたいに、色々知ってるわけでもないし。

でも、だからって。
わたしに何もないからって。

それをあきらめなきゃいけない理由なんて、どこにもない。


いや、そんなんじゃない。
吐き違えちゃいけない。


わたしに何もないからって。


あきらめてもいい言い訳なんかにはならないんだ。
言い訳にしちゃ、いけないんだ。

免罪符はそんな安価じゃない。
いや、例え安価だったとしても、おいそれと手を出していいものじゃないんだ。



…………なんだか、不思議。



わたしは今、自分でも驚くほど積極的になってる。
こんな自分、はじめてかも。


なんでかな。
わたし、なんでこんなに。


今までないくらいに積極的になれてるんだろ。





「………………あ」




なんだろ。

今、なんだか“核心”に迫ったような気がする。



それは。


とても恥ずかしくて。
できれば見ないで隠しておきたいような。

そういう心の奥の内緒の引き出しに、鍵を掛けて保管しておきたいような種類のもの。




―――――でも、わたしは。




その深いところにある引き出しに、手をめいっぱい伸ばして。


心の奥底でかすかに光る“核心”をしっかりと掴んで。




「わたしは、進むって決めたんだ」


「………………………先へっ!」






――――――そして、力いっぱいに“それ”を、引きずりだす。








「……………っ!」




手にした“答え”に思わず息を飲む。

理解した。

理解できた。



唐突に、ホントに唐突に理解できた。

前向きになったおかげか、思考が加速度的に冴えわたってゆく。



あは、そっか。
そっかそっか、そっか。


そういうこと、か。


あぶないところだった。
さっきの答えはひとつひとつの疑問に対する正解ではあったけど、それは“真実”じゃない。


そう。
あれは、いわゆる引っ掛け問題だ。



自分にとっての“居心地の良い着地点”という飴で、ミスリードを誘った引っ掛け問題。
それは、耳にやさしい言葉で偽装された、安価な免罪符のたぐい。


だって、それは。
ひとつひとつの疑問への模範解答ではあるけれど、根本的なものをキレイに避けてしまっている。


これでは根本的な解決にはなりえない。


これじゃあ次々と沸き起こる同様の疑問と、常に対峙しなくちゃいけなくなるよ。
そして毎回耳聞こえの良い回答に満足して、毎日を同じように繰り返すだけだ。



それでは、きっとだめなんだ。
わたしが望んだのは、“今”じゃない。


“これから先”、なんだから。



それが今、自信を持って理解できた。
わかってしまえば、笑ってしまうくらい簡単な結論。



数々の疑問は、“ひとつのある事実”から派生したものであるということに。


つまりは、どんな迷いも悩みも。
ただひとつの事実から、簡単に答えが導き出せてしまうということに。




――――――それは。



 





わたしは、今。
生まれて初めて。



本気で。



“男の人を好きになったんだ”、という事実。



………これが、わたしが無意識に避けていた事実。




「――――――っ」




でも理解できたこととは言え、明確な言葉で形にしてしまうとさすがに恥ずかしい。
かぁ、っと
顔が朱に染まるのがわかる。


でも、ふっと心が楽になっていく。
なんだかんだ小難しい理屈を並べた所で、結局いきつくのはそこだったんだ。


それに気付けたのはきっと、わたしが“先を望んだ”から。
わたしがそこで満足してしまっていたら、この想いに気づくには途方も無い時間が掛かったことだろう。


けれど、わかったのならもう大丈夫。


どんな疑問も“たったひとつの回答”ですべて結論がつく。
そう、“いかなる疑問”も、“ただ一つの回答”で簡単にQEDだ。


例えば、『シンさんの雰囲気の、恐いのとは違う何か』。
それを馬鹿正直に考えてる時点で、もう方向性が間違ってたんだ。



悩むところはそこじゃない。
むしろ疑問は、こうあるべきだった。




『なぜわたしは、ここまでシンさんの雰囲気について真剣に悩んでいるのか』




――――答えは簡単。




“わたしがあの人のことを好きだから”だ。




「…………っ」




顔から火が出そうになる。
けれど、唇を噛み締めてこらえる。


ひるむな。
こんなとこで、ひるんでちゃ駄目なんだ。


進むんだ。
もっと先へ。



さぁ、次の疑問と勘違いだ。




『なんで寝ているシンさんを見て、寂しく思ったのか』
『嫉妬してしまったのか』




――――答えは簡単。




“わたしがあの人のことを好きだから”だ。




「………………っ」




耳が熱くて、ちょっとしたアイスならすぐに溶かせそうな勢いだ。


でももっと先へ。
     もっともっと先へ。



突き破ろう。
  こうなったら徹底的に。





『なんでわたしはシンさんが初めて笑ってくれた時、あんなに嬉しかったのか』

“わたしがあの人のことを好きだから”だ。





『なんでわたしはシンさんに抱きかかえられた時、あんなにドキドキしたのか』

“わたしがあの人のことを好きだから”だ。





『そもそも最初に会った時から、あの人を目で追ってたのはなぜか』

“わたしがあの人のことを好きだから”だ。





『ただの部屋着でも、おしゃれなものを選ぶようになったのはなぜか』

“わたしがあの人のことを好きだから”だ。





『体調が悪くてお風呂に入れない日は、あの人のことを避けてしまってたのはなぜか』

“わたしがあの人のことを好きだから”だ。




「ん…………………ぅっ」



恥ずかしさの限界で、おもわず悩ましげな吐息が出てしまう。


でも、おかげで辿りつくことができた。
頭ではなくて、ちゃんと心で理解できた。




「………………わたしが」


「………シンさんのこと、好きだということ」




そう、ずいぶんと寄り道しちゃったけど、これが結論。
何に疑問を抱くかは、大した問題じゃなかったと言うこと。


重要なのは、ただ一つの事実。


もう、疑うべくもない。
これが、このたった一つの事実こそが。



全ての疑問への、完全なる回答。





「………………わたしは、シンさんのことが好き」



きゅ……、っと自然にこぶしに力が入る。
堂々巡りの末にたどり着いたその答えに。


その甘酸っぱいけれど、胸を張って誇りたいその想いに。


わたしは心地良い満足感を覚えて。




「あ……………ふぁ」




思いがけず、あくびが飛び出してしまう。


時計を見れば、もう夜中の2時半を回っている。
あは、眠くもなるはずだ。


いつものわたしなら、完全に熟睡して2本目の夢を堪能してるくらいの時間だもの。




「ふぁ……………ぁ」




心地良い満足感が全身を包み込んでいく。

まぶたが重くなっていくのを。
もう、抑えることができそうもない。




「あは………、ざんね、ん」

「もっと…………、噛み締めて、いたかったの、に…………」







…………わたしのはじめての、想いを。





―――――そうつぶやいた所で、意識が完全に途切れ。
―――――わたしは、深い、深い眠りに落ちていった。




 






 





「ふぁ……あふぅ………、おはようございまふ……」



昨日の夜更かしが響いたわたしは、寝ぼけまなこでリビングへ。

時間は7時5分。

あと20分は寝ていられそうだったけど、二度寝はなんだか死亡フラグな予感がして、
目覚めた勢いのまま、全力を尽くしておふとんにおわかれをして、活動を開始することにした。

 


「………………ああ」

 


ぶすりとした表情でパンをかじるシンさん。
バターだけを塗ったトーストに、マグカップに注いだ牛乳という簡素な朝食。

 


「お姉ちゃんは今日もお寝坊ですか?」

 


わたしはトースターをセットしながら、背後のシンさんにいつもようにありきたりな質問。

 


「……ああ、昨日HNM狩るとかなんとかで明け方まで大マラソン大会するって言ってたしな」

 


シンさんも視線をこちらに向けずに、トーストをかじりながら淡々と答える。



「おじさんは?」

 

「………今日の正午に入稿だから昨日からホテルに泊まりこみで原稿を書いてる」

 


よし、大丈夫。
弾むほどではないけれど、会話が成り立ってるよ。


ちなみにこの空気、見た目ほど難易度は低くはない。
正直言うとけっこう気まずい。


何が気まずいって、まず最初に昨日のふきんの一件。
あれってよく考えてみれば、解決してないんだよねシンさんの中で。

わたしが一方的に納得しただけで、シンさんの中ではまだくすぶってる。
だからぶっきらぼうなシンさんとやさしいシンが、出たり引っ込んだり。


そして当然、それ以上に、わたしには余裕がない。


この気持ちと向き合ってから、初めての会話だもん。
どれだけ理屈を理解できたところで、心臓が裏返るんじゃないかと思うほどの鼓動を抑えることはできないよ。


それと、もうひとつの難題。
話のつじつまを合わせなければいけないということ。


だっこで部屋まで連れていってもらって、そのままベッドに寝かされたこと。
やさしく髪を撫でてもらったこと。


この件を、わたしは寝ていて知らないことになっている。
だから下手なことを口走って、整合性のとれてない発言をしようものなら、色々そこで終わってしまう。


わたしも、シンさんも。

そして、この想いも。



だから、頑張らなきゃいけない。


思い出すだけで顔から火が出そうになるのを、あたかも何もなかったかのように振る舞い。
初めて本気で好きになった人と自然に会話するという。

この極めて難易度の高い所業を、粛々とこなさなければならない。



…………むむむ。
でも、ひるんでる場合じゃないゾ。



わたしは、“先へ進む”と決めたんだ。
どんなに苦しくても、どんなに難しくても。


だからわたしは、どんどん話しかける。
怒られたらどうしよう、嫌われたらどうしようだなんて、そうなってから考えればいい。


そう、まずは何か話しかけることから始めよう。


そだ、どうせ話しかけるなら、切り出しにくい話から仕掛けてみよう。
そうすれば、あとの会話の難しさが少し下がる気がする。



うん、いいぞ今日のわたし。
とってもポジティブだ。



よし………じゃあ、昨日のふきんの一件。
あれを変に避けないで、突っ込んで勝負。




「シンさん、昨日のカルピス、美味しかったです?」
「……あ?…………あぁ、美味かったな」




よし、とっかかりは悪くない。
自然だ、実に自然だ。

ここから『昨日はびっくりさせちゃってごめんなさいっ!』って、自然な感じに繋いでいければ。

 


「………でも、お前回し飲みとか気にしないタイプなのな」
「………や、俺も気にするタイプじゃないけどさ、一応気にした方がいいかとか思って怯んだんだが」


「………なんつうか、お前があんまりにも普通な感じだったから、気にせずいただいたけど」

 


…………ふぇ?

 

…………回し飲み?

 

 

「いや、だから」
「お前口つけたグラスよこしただろ、俺に」

 

 

あ…………。


あぁぁ……………っ。



言われてみたら、そうだった………………っ!!
あれ、ばっちり“間接キス”だった………っ!!


しかもわたし、「カルピスおいし^^」とか言ってグラスのふちのカルピスぺろぺろって舐めたりしてた………っ!!

 

それをシンさんが飲んだ………っ!!

 

口を付けて飲んだ…………っ!!!

 


ごくごくと喉を嚥下させて飲んだ…………っ!!!







                  ああああああああああ
                  あ        あ  
「きゃああああああ         あ        あ 
        あ         あああああ    ああああ 
        あ             あ       あ 
        あああああああああ     あ       あ
                あ     あ    ああああ
                あ     あ    あ
             ああああ     あ    あ
             あ     ああああ    ああああ    ああああっっwwww!!!」
             あ     あ          あ    あ
             あああああああ          あ    あ
                              ああああああ   

                             

 

 

声にならない叫び声が出たw
もう、お腹の底からw

 


「え…………ちょ…………何っ?」ビクッ

 

さすがのシンさんも目を泳がせて動揺してるw


でも、無理っw
今は、もう平静を装おうのは無理っww



キスしたっっwww

間接だけどっっwww



わたしとシンさんが、キっ……キスしたっっwwww




きゃあ、きゃあ、きゃあっっwwwww




恥ずかしいっっw
恥ずかしくて、穴がなくても掘って全身で埋まりたいっっww


昨日たどり着いた理屈なんか、間接キスひとつで完全にグロッキーにされちゃったっwwww

 

「ちょ………、おちつけってお前」

 

まっかな顔を両手で覆って、へたり込むわたしにシンさんも膝を折って視線の高さをあわせて座り込む。



そのやさしさは嬉しいっ!
ものすごく嬉しいっ!



…………でも、今はだめぇっ!w
…………指の隙間からちらりと視界に入る、“シンさんの口元”に反応してしまうっ!w

 

 

「なんだってんだよw、一体どうしたんだお前はw」


「あ、また………っ///!やっ、なんでもないですっ、忘れてくださぃっ///!!!www」


 




 





「………ほら、ヘルメット」

「うう、ごめんなさい……」



半キャップのヘルメットの顎ひもを締めながら、わたしは涙目で謝罪する。


取り乱したわたしが落ち着いた時には既に時間は8時を過ぎていた。
電車では到底間に合わない時間のため、シンさんのバイクに乗せてもらっての登校となってしまった。

ちなみにお姉ちゃんは、女の子の日が二日目で体調が優れないという凄まじいウソをついて学校を休んだ。
黒井先生が来る前の時間を狙いすまして電話して、男の先生に言い放つあたりがとてもしたたかで、
正直舌を巻いてしまった。


「いいから、早く乗れって……。あ、ステップに足掛けてな」


あ、はい、わかりましたっ。
なんて阿吽の呼吸ぽく返事をして、バイクのリアシートに飛び乗……れないです、シンさんホントすみませんw

 

「…………はぁ」

 

溜息と共に両脇に差し込まれる手。

ぐっ、と力が込められふわりと浮き上がるわたしの身体。
そのまま、すっ、と静かにリアシートに乗せられる。

 

「たく、面倒かけやがって…………」



ガッ!ォォンッ!オオンッ!



キック一発で始動するエンジン。
カン高い音が振動となって、わたしのからだごとボディを揺らす。


かこん。


ヘルメットが軽くぶつかる。
じろ、っとフルフェイスから睨むその紅い目。


「言っとくけどなぁ、ガンマに女乗せるの初めてなんだからな!?」


エンジンの音にかき消されないよう、大きな声でそう告げられる。
そのあとの呟きはかき消されてしまい聞こえなかったけれど、たぶん“………ったく”って言ったんだと思う。


そっか、わたしが初めて、か。
あは、最高に嬉しいから困る。


「ほら、掴まれよっ」


シートに座ったシンさんの言葉に従って、わたしは腕を回して思いっきり抱きしめる。
ちょっと、いや、すごく恥ずかしかったけれど、昨日だっこの時できなかった分だけ強くそうする。

 

「よし、中途半端だと振り落としちまうからな、そうやってしっかり掴まってろっ!」

 

がっかりな反応のシンさんに少しだけ苦笑。


でも少し嬉しそう。
きっとわたしがバイク怖がったりしてないから、だろうな。

シンさん、このバイク大事にしてたし。
なんだっけ、あ、車体にRGV−γ(ガンマ)って書いてある。

そうそうガンマ、ガンマだ。
そういえば良く話に出てきてた。

この子のこと怖がったりしてないのが、きっと思いの他うれしかったんだ思う。


大丈夫、シンさん。
バイク、全然、怖くないよ。




…………だってまだ走りだしてないもんw




走りだしても奇声をあげたりしないように、しっかりと腹筋に力を入れて耐えないとw

 



「じゃ、行くぞっ?」

「…………はいっ!」


 


ぎゅ、と更に力を込めて抱きしめる。
シンさんの制服から、男の人のにおいがしてどきりとする。

 

オォォン!

 

そしてバイクが走り出す。

 

「――――――――んっ!」

 

その場にとどまった空気を左右に切り裂くように加速する。
エンジンが鳴っているのか、切り裂かれた空気が鳴いているのか、もうよくわからない。



―――――カァアアアアン!!
―――――びりびりびりびり!



うわっ、すっごい迫力。
これがシンさんが言ってた2ストロークの甲高い官能的なエグゾーストノート、というものなのだろうか。



まるで沸騰した想いを吐き捨てるように威圧的な。
耳をつんざく排気音が鼓膜を突き破らんとする勢いでわたしに襲いかかる。




…………でも、平気だよ。


うん、全然、怖くないよ。


激しいけど、楽しそうな。
激情的だけど、どこか優しい。



まるでシンさんの心情を映す鏡みたいな音だよ。


心地いい。
不思議と落ち着きを覚えるほど、心地いいよ。




――――――もふり、と。
         背中に顔をうずめる。

 


「………簡単なことだった」

 

わたしは呟く。

またひとつ、わかったこと。
唐突に理解できてしまったこと。

 


「わたしに夢中になれる何かを見つけることなんか、笑ってしまうくらい簡単なことだったっ!」

 


それが嬉しくて、おもわず声に出てしまう。


 

「―――――今なんてっ!?」


 

シンさんが顔を前に向けたまま、そう尋ねる。
ちょっと嬉しそうな背中の雰囲気がかわいい。

 


「んーん、なんでもない、ですっ!」


 

うん、今はまだ、内緒。
今はまだ、噛み締めていたい。

昨日は寝落ちしちゃったけれど。
こんどこそ、大事に噛み締めていたいんだ。




わたしにとっての“はじめて”の気持ち。




それは、文字にしてたった四文字の言葉。

 


いつの日か言える日がくるのかな。
どんな場所で、どんなふうに言うのかな。




それを聞いたシンさんはどんな顔をするのかな。

 


たった四文字の思いの丈を聞いて。


 

言えそうで言えないその一言。
磨いておこう、今のうちから。



そう遠くない未来にに言うであろう、たった四文字のその言葉。

 

 


   “好 き で す”

 

 


――――――その一言を。









The end:Thank you for your time.





                               


                         

project TEAM FLYDAY 
Sinse            07/25/2006
Last Update    08/15/2011
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